Up 商品経済の浸透と拡大−期 作成: 2018-11-20
更新: 2018-11-20


    場所制度は,一部家臣に対する商場(場所)知行制である。
    この家臣は,<便利>を理由に,付き合いの商人に場所経営を請け負わせるようになる。
    こうして場所制度は,場所請負制を内容にしていく。
    これが,1700年代に進行した。


    場所知行制では,アイヌは領民の位置づけになる。
    場所請負制になると,商人は利益追求が本位であるから,アイヌは労働力商品の位置づけになる。

    領民に対する構えは,<養生する>である。
    労働力商品に対する構えは,<少ない報酬でたくさん働かせる>になる。
    こうして,場所のアイヌに対する扱いは,自ずと変わってくる。


    場所での和人とアイヌの交わりは,「オムシャ」(註) が示すように,はじめは牧歌的な色彩のものであった。
    場所請負制になると,この色彩は徐々に失われ,殺伐としてくる。

      このダイナミクスは,いつの世も,企業のライフサイクルに見てとれるものである。
      創業は,きびしいなかにも,牧歌的な人間の交わりがある。
      やがて,利益本位になって,企業は合理化されていく。
      人はシステムの歯車と化す。


    <少ない報酬でたくさん働かせる>が極まる先は,反乱である。
    ──「寛政蝦夷蜂起」(1789) 。

    "アイヌ" イデオロギーは,このステージを捉えて,つぎのストーリーを紡ぐ:
      戸塚美波子 (1971)
     ‥‥
    和人は 部落の若い女たちを
    かたっばしから連れ去ったうえ
    凌辱したのだ──

    そして 男たちを
    漁場へと連れて行き
    休むひまなく
    働かせた

    若い女たちは
    恋人とも 引さ離され
    和人の子を身寵ると
    腹を蹴られ流産させられた
    そして 多くの女たちは
    血にまみれて 息絶えた

    男たちは
    妻 子 恋人とも
    遠く離れ
    重労働で疲れ果てた体を
    病いに冒され
    故郷に 送り返された
    その道すがら
    妻を 子を 恋人の名を
    呼びつつ
    死出の旅へと発った
    これは,当時の左翼イデオロギーがよくやったタイプの捏造である。
    そもそも,<強制連行>だと,逃げられてしまい,後が続かない。


    反乱は,日頃の不満鬱積の爆発である。
    翻って,反乱が無くて済ませた場所は,不満のガス抜きを含む企業経営の妙を,いちおううまくやっていたということになる。

    実際,アイヌは,<出稼ぎ>を生業として当てにするようになり,<出稼ぎ>を生業として当てにする共同体形態・生活形態をつくるようになる。
    例えば,平取アイヌは狩猟採集では賄いが立たない大きな部落を形成したが,これは出稼ぎを生業に加えることができたからである (すぐ近くには沙流場所がある,など)。


    註.「オムシャ」:
      最上徳内 (1808), p.535
    唯一年に一たびオムシヤといふ事あり。
    是佳節にも終年終月の會稽(会計) にもあたるものなり。
    昔松前より買人を所々へわたして産物を交易するつゐでに、小吏をもやり、法度を沙汰せしめたる時の遺なり。
    尤オムシヤといふはその前よりも有来る名にて、何にても上みたるかたよりのさとし事有時これを聞の名なり。
    春始て和舶来り、互に安を問ひ、恙なきを喜ひ、一禮を述べ畢て、 (さて)今年も漁獵の時至れり。
    務て(おこた)ることなかれ。
    近邑とも睦び、争訟などをいたさすべからず、いづかたにでも難船あらば出て救ひ助けよ。
    幸なりとして賊をなすことなかれ。
    などいふととを念頃に喩し、扨酒二椀づゝをのましめ、烟草、煙管等それぞれにあたふ是なり。
    秋にいたり海河山澤の事畢り、買人等辭しかへらむとして又條令を示し、且冬のあいた網や船をもつくろひ、春また来るを待品物を貯へおけなど教へ、此般は大に酒をのましめ、女子、小児にも濁酒をあたへ、皆酔ひて歌舞轉臥にいたりてやむ。
    これをウヱトツ、コバクといふ。
    今はシヤーランバともいふ。
    是暇乞といふことにて、シヤーランバは則さらばなり。
    来去ともにゑそ一人ことに是まて交易せし品の有餘不足をかそへ、後時の約束をなす。
    しかれども此日遠方より三日、四日をかけて来り、また日を重て歸る。
    酔てふすも、夷俗歳月をも知らさる常なれば日時を費などの念なき故、一日飲で三日も臥ものあり。
    (かたがた)十餘日を空しくすることなれば、萬のいとなみ便よからず。
    その上もはや年々に成て、條喩をもおぼへ、法をやぶる程の事もなきまゝに、いつとなく来りし時のオムシヤをば略し、歸らむとするおりのウヱトツ、コバクの時ばかり大に燕(さかもり)を開くことに成たり。
    オムシヤは法禮を重んじ、ウヱトツ、コバクは歡楽を専にする趣にて、買人等がゑぞどもをあつめてする事なれば、いづれとてもしどけなきふるまいなれど、併オムシヤは重くウヱトツ、コバクは軽ければ、名は(ひとえ)にオムシヤとのみいひならはしたるなり。
    オムシヤ定りたる時日なし。
    所によりてかはりあり。
    秋季より初冬の間の事なり。


    引用文献
    • 最上徳内 (1808) :『渡島筆記』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.521-543
    • 戸塚美波子 (1971) :「詩 血となみだの大地」
        旭川人権擁護委員連合会『コタンの痕跡──アイヌ人権史の一断面』, 1971, pp.95-107.