Up アイヌ地保留統治−期 作成: 2018-11-11
更新: 2018-11-11


    松前藩は,《アイヌを和人に同化させない》をアイヌ政策の方針とした。
    アイヌ同化政策は,明治政府になってからである。

    つぎは,松前藩の<禁同化>政策を非難していることになる最上徳内の言:
       最上徳内 (1790), 須藤十郎編 p.67.
     疾病は中国夷狄(いてき)の差別もさまで有まじき事なるに 我邦と蝦夷人の(おおい)に異なるは如何ぞや、 是皆松前領主の法令の然らしむる所なり、
    (すべ)て夷人、日本の言語をつかう時は通辞令に(そむき)たる罪みを責め 遂に過料を出して罪を償うなり、
    或は蓑笠(みのかさ)を着し草鞋(わらじ)脚当(はばき)を履けば 又前章の如し、
    兎角(とにかく)日本風俗に化し染ぬ様にとするは 松前家の政なり、
    故に跣足(はだし)にして巌端(いわのはし)樹篠叢(きだちのなかくさむら)をも(いと)わず奔走し 頭髪は露、雨霜に濡瀝(ぬれ)し 屋に帰りても沫浴すると言(う)事もなく 誠に禽獣に異ならず、
    然れども元来同じ人間なれば、疱瘡或は疫癘(えきれい)流行すれば伝染する事、日本人に異ならず、
    若(し)是に遇えば 恐懼して宅居を棄て深山幽谷に(のが)れ往て流行の疫病(たえ)て後、故郷に帰り住居するなり、 親子夫婦は看病介抱するとも、其他は皆見離して見殺にして(のがれ)去る、 是医薬の術なき故なり、
    同じ人間に生れながら浅間しき国政に()う人間も有物(あるもの)にや、 余り堪難き事どもなり、 かかる(てい)を見るに附ても 吾邦の御世(みよ)の有難(き)事、猶弥増(なおいやまし)にして忘れ難きことなり。


    松前藩のアイヌ政策は,一面「愚民政策」である。
    <禁同化>政策は,アイヌが和人の知識・技術力を得て強くなるのを懼れていることになる。

    明治新体制では,アイヌは<終わったもの>と位置づけられる。そこで同化政策となる。


  • 引用・ 参考文献
    • 最上徳内 (1790) :『蝦夷草紙』
      • 須藤十郎編『蝦夷草紙』MBC21/東京経済, 1994