松前藩は,《アイヌを和人に同化させない》をアイヌ政策の方針とした。
アイヌ同化政策は,明治政府になってからである。
つぎは,松前藩の<禁同化>政策を非難していることになる最上徳内の言:
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最上徳内 (1790), 須藤十郎編 p.67.
疾病は中国夷狄の差別もさまで有まじき事なるに 我邦と蝦夷人の大に異なるは如何ぞや、
是皆松前領主の法令の然らしむる所なり、
総て夷人、日本の言語をつかう時は通辞令に背たる罪みを責め 遂に過料を出して罪を償うなり、
或は蓑笠を着し草鞋、脚当を履けば 又前章の如し、
兎角日本風俗に化し染ぬ様にとするは 松前家の政なり、
故に跣足にして巌端樹篠叢をも厭わず奔走し 頭髪は露、雨霜に濡瀝し 屋に帰りても沫浴すると言(う)事もなく 誠に禽獣に異ならず、
然れども元来同じ人間なれば、疱瘡或は疫癘流行すれば伝染する事、日本人に異ならず、
若(し)是に遇えば 恐懼して宅居を棄て深山幽谷に遁れ往て流行の疫病絶て後、故郷に帰り住居するなり、
親子夫婦は看病介抱するとも、其他は皆見離して見殺にして遁去る、
是医薬の術なき故なり、
同じ人間に生れながら浅間しき国政に遇う人間も有物にや、
余り堪難き事どもなり、
かかる体を見るに附ても 吾邦の御世の有難(き)事、猶弥増にして忘れ難きことなり。
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松前藩のアイヌ政策は,一面「愚民政策」である。
<禁同化>政策は,アイヌが和人の知識・技術力を得て強くなるのを懼れていることになる。
明治新体制では,アイヌは<終わったもの>と位置づけられる。そこで同化政策となる。
- 引用・ 参考文献
- 最上徳内 (1790) :『蝦夷草紙』
- 須藤十郎編『蝦夷草紙』MBC21/東京経済, 1994
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