「アイヌ」は,「カムイ」と双対の概念である──「カムイとアイヌ」。
特に,現代人の謂う「人」に相当する語ではない。
実際,和人は「人」だが,「アイヌ」の括りには入らないわけである。
アイヌが「アイヌ」を自称するとき,「自分はカムイに対するところのアイヌだ」と言っているわけである。
一方,この自称を,「自分はアイヌ民族だ」に解する者がいる。
民族派 "アイヌ" や「アイヌ学者」である。
その彼らは,併せて,「シャモ」を「アイヌ」の双対概念にする。
「和人──アイヌ民族でない者」が「シャモ」の意味だというわけである。
ここに,「アイヌ」ではない相手がいる。
この相手を,《自分は相手に依存している》の関係で意識する。
このとき,相手は「シャモ」である。
「シャモ」とはこのようなことばであり,「和人」がこれの意味なのではない。
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最上徳内 (1808), pp.530,531.
和人をシャモと稱すること何の義たるをきかずといへとも、いつれ推あがむる心ある詞にて、其己か國俗の賤陋なることはよく辨知てあれば、上國の人といはん趣に聞ふるなり。
その中すこしおもだちたる人をシシャモといふ。
士をニシツパといふ。
シとは何事につけても一層立趙たるをいふ詞にて、美をピリカといふ、至美をシノピリカといふの類なり。
オロシヤ入、毛髪赤をもてフーレシシャモといふ。
フーレは赤なり。
シシャモとは来るものみな鳥銃なとを提(へ) 鄙人にあらぬをもてシといふ。
ソウヤの邊のゑぞはルシヤといふ。
是カラフトより来る言なり。
魯西亜の轉(転)に似たり。
蘭人はリユスといふとぞきく。
もし唐人、朝鮮人をよばゞ唐シャモ、朝鮮シャモといひ、其おもたちたる人品なるものをば各シの字を加て呼べし。
唯シャモと斗つきはなしていふは日本人にかぎるなり。
シャモによりて生活自由を得ることは感戴深きことなり。
故にシャモの言に負かざるを義とす。
数百里山海の程をも事とせず、魚獣を逐てとり得るところの品物、いつれの地方に向て日用の器、皿、嗜好のものと換へ得んや。
啻毛夷にかきらず、カラフトより満洲の邊境に流れ、往時はヱトロプよりカムサツケに及ふ。
共地彌(弥)遠に至ては諸物益乏、烟草つかざればきせるにつきたる膏を虎杖の枯葉にぬり乾して換へ用。
烟管の古きを貯へて其頭を嘗るにいたる。
畑管亦和物なり。
百に一、二、満州より来る物あり。
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なお,これの高倉新一郎・註に,
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和人をシヤモと稱すること
和人は内地人,シャモはシイサムクル=隣人の略」
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とあるが,これもミスリーディングである。
もっとも,和人を「シャモ」と呼んでいれば,「シャモ」の原義/ニュアンスが薄れて,「シャモ」は和人の代名詞になる。
実際,このように進行したわけである。
引用文献
- 最上徳内 (1808) :『渡島筆記』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.521-543
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