Up | アイヌ論の方法 : 要旨 | 作成: 2018-12-15 更新: 2018-12-15 |
学者と物知りの差は, 「論考」の有無である。 論考は,方法論を立てる。 実際,論考は,自分が立てた方法論の検証作業である。 この意味で,論考は,方法論がすべてである。 アイヌ論をつくることは, 「論考」である。 本論考は,つぎの捉えを方法論として立てる: 1.「蝦夷」(辺境・漁猟採集生活・アニミズム) 実際,アニミズムは事物一つ一つに神を立てるものであるが,<神からいただく>が確かな行為としてあることが,神を立てられる条件になっている。 自給自足でない生活の品は商品ということになるが,商品は出自不明である。よって,<神からいただく>が立たない。商品には,神の立てようがないのである。 2.「交易」(一部生活物資の対外依存) アイヌは,一部生活物資を対外依存する。 その生活物資を得る形が,「交易」である。 「一部生活物資を対外依存する」は,商品経済に呑み込まれる根本構造である。 実際,「一部」がだんだん大きくなり,やがてすべてになって,「商品経済に呑み込まれる」の完結とあいなる。 3.「和人地・場所」(商品経済) 種子は,芽を出し,成長する。 そして,個体は繁殖する。 よく成長・繁殖するものもあれば,そうでないものもある。 地域差もある。 しかし全体では,蝦夷は商品経済にかき回されるようになる。 商品経済の繁殖源になったものは,とりわけ「和人地・場所」である。 最初は慎ましく,そしてだんだんと食指を伸ばしていく。 アイヌは,場所との係わりで,和人依存を増やしていく。 4.「出稼労働」(神々の黄昏) 「アニミズムの終焉」では,これが決定的局面というものになる。 アニミズムは,収穫物が神とつながっている。 収穫の豊凶は,神の思惑・機嫌が原因である。 収穫物は神とつながっているから,これの消費は神事である。 不要部分の捨て方・捨て場所にも,礼儀が立てられる。 この考え方は,場所の被雇用労働ではひっくり返される。 被雇用労働では,収穫物は交換価値である。 物自体には意味はない。 アニミズムの神々 (「八百万の神」) は,物が交換価値になる商品経済に曝されることによって,死ぬ。 実際,神は,交換価値には据えようがない。 そもそも,神を据えたら,罰当たりになってしまう。
これは,神がいたら罰当たりの行いである。 「食べ物を大切に」の教育は,コンビニでひっくり返される。 4.「土地所有制度」(漁猟採集生活の終焉) 商品経済に見込まれた辺境は,商品経済に呑み込まれていく。 即ち,交通・運輸インフラが整備され,興業を可能・容易にする法制度が定められる。 これは,全国一律の中に辺境を入れるということである 決定的となるものは,土地所有制度である。 実際,これにより漁猟採集生活は不可能なものになる。 |