アイヌにとって和人の文化は,先進文化になる。
以下のエピソードはそのままには受け取りにくいが,類型を示すものとして引いておく:
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最上徳内 (1808), pp.535,536
日月の食(蝕)には戸々皆出て、天を仰ぎ呼ふて、エラヰナー、ホーヰヤ、ヰヌパ、ホーヰといひ、ケマコルシンドコのパルぺ或はオツチキをうち敲き、明に復して喜悦してやむ。
エは發聲なり。
ラヰは死なり。
ホーヰは呼ふ聲なり。
ヤヰヌパは活なり。
これ死し給ふそ活給へよと呼り助くる意なるよし。
ケマコルシンドコは行器なり。
足ある器といふことのよし。
パルベは裏なり。
オツチキはおしき(折敷) なり。
和人の交易のために行てかしこにある者、これを笑て、いかなるゆへにしてかゝる振舞をはなすやととへば、
人生れて日月の光をいたゞきてこそ生活のいとなみはなすなれ。
恩賚莫大なり。
しかるに今その日月にして将に死し給はむとす。
いかでかたゞに助け奉らであるべき
といふを聞て、益笑ひてやまず。
これいつの昔よりか不易の習俗なり。
さてこの和人等がいつの月日には食あり。何分何のかたに始り、終る。天晴れば見よと教、常に符を會するかこときに驚き、和人を仰ぐこと神のごとし。
いかにしておことらが智識こゝにいたるやと問。
是我か輩いかでか自ら知らむ。上に賢き人々ましましてかくはからせ給ひ、暦といふものをつくりてあまねく頒ち賜はりてこそ初てしることなりといふを聞て、感せざることなし。
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相手の文化が先進文化に見えるとき,己の文化が見えていない。
実際ひとは,そもそも己の文化を評価しない。
あたりまえになっているものは,評価するものにならないわけである。
「文明開化」の日本人は,西欧文化に同化しようとして,自文化を卑下することになった。
アイヌは,和人の文化に同化しようとはしないので,自文化を卑下することはない。
しかし,幕末・明治の同化政策に従う立場になると,自文化を卑下する者になる。
──<己を卑下する>は,<別者への同化を己に課す>の反面というわけである。
引用文献
- 最上徳内 (1808) :『渡島筆記』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.521-543
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