「アイヌ」は,北海道の歴史区分に出てくる「アイヌ文化期」の「アイヌ」である。
「アイヌ」は,一地域の一時期の一生活様式を指すことばである。
このアイヌは,<和人依存>を存在の本質的な要素にしている。
<和人依存>の内容は,《衣食住を和物が支える》である。
アイヌの<和人依存>は,裏返せば,和人の<アイヌの和人依存を用いてアイヌを支配>である。
実際,「アイヌ文化期」の歴史内容は,<アイヌの和人依存を用いてアイヌを支配>の進行である。
アイヌ支配の形は,アイヌをつぎの身分にしていくというものである:
これは,さらにつぎの段階へ進んでいく:
この変遷過程は,「交換場所 (<場所>) の形態の変遷」を視点にすると,整理しやすい:
- はじまりは,<場所>の勝手状態である。
<場所>をやりたい者が,勝手にやる。
この結果,<場所>があちこちに現れる。
- あちこちに現れた<場所>は,コシャマイン・武田信広の結果的共同作業,およびその後の経緯によって,蠣崎氏守護地一極に整理されていく。
- <場所>のつぎの段階は,松前藩の「場所知行制」である。
和人地と蝦夷地を画し,松前藩が<場所>を定め,これを直接経営するというものである。
この方法には,つぎの重要な含蓄がある:
他の者をアイヌにアクセスできないようにするのは,「利益独占」が専らの理由ではない。
「アイヌの現状固定」の意味が,重要なのである。
松前藩は,アイヌを感化しないよう,知識・技能を与えないよう,気を配った。
ニワトリを飼ってたまごをとる場合を考えよ。
このときは,つぎのことを考える:
- 餌付けにより,ニワトリが逃げていかないようにする
- たまごをきちんと生むことだけをさせるために,ニワトリを変容させそうな要素はすべて潰す
- 他の者がたまごを横取りしないようにする
松前藩の施策は,この理に則るものである。
- つぎの段階は,松前藩がアイヌの直接の頭になることである。
これ以前は,広域のアイヌの長といった存在があった。
和人が「惣乙名」と称したところのものである。
これが,シャクシャイン後,松前藩に服従の立場になる。
以降,「乙名」は,松前藩のアイヌ支配の「中間管理職」の意味になる。
- つぎは,「場所請負制」である。
<場所>経営を,商人にやらせるというものである。
<場所>は,これによって大きく変質する。
<場所>経営を商人にやらせるのは,要するに,めんどうくさくなったからである。
しかしこれは,肝心・大事を壊すことである。
その肝心・大事は,「アイヌを現状固定する」である。
創業者は,知恵を働かせて業を興す。
「場所知行制」の段階では,アイヌとの物々交換を「介抱」と称した。
この用語は,つぎを掟にするためである:
この知恵は,後継者に継がれなくなる。
業態だけが,継がれる。
後継者は,業態の意味がわからない。
そこで,経営がめんどうくさくなると,経営をひとに任せる。
任せられた者は,業態を自分に都合のよい形に変えていく。
商人の肝心・大事は,利益である。
そこで,業態の集約化・効率化をする。
その結果が,<場所>の海産会社化である。
アイヌは,この会社に雇われる者になる。
企業の利益追求は,企業のブラック企業化である。
<場所>は,ブラック企業化する。
- 「クナシリ・メナシ」は,「<場所>のブラック企業化」の文脈におさまる。
ブラック企業が事件化すると労働局の立ち入りとなるように,「クナシリ・メナシ」も,事件後幕府の調査が入っている。
以上で,「コシャマイン」(1456), 「シャクシャイン」(1669), 「クナシリ・メナシ」(1789) の3つが揃った。
この3つは,"アイヌ" イデオロギーの歴史改竄が,主要ターゲットとするものである。
もとは「乱」のことばが用いられていた。
これに対し,「和人本位の捉えだ!」を唱え,「戦い」に変えさせた。
Wikipedia も,全部「戦い」である。
事実はどうかというと,この3つは位相の異なるものである。
「クナシリ・メナシ」などは,《松前軍は,制圧後,叛徒の首級37名と,味方についたアイヌの功者43人を従えて帰還》となるわけであるから,「反乱」である。
- つぎに,幕府の蝦夷直轄がくる。
ロシアの蝦夷進出が問題になってきて,「植民」が蝦夷防備の方法にされる。
そしてこの「植民」が,<場所>においては,「和人労働者の供給」として現れる。
- そして,明治政府の「開拓」のステージになる。
このステージになると,アイヌは無価値化の一途となる。
不要かつじゃまな存在になる。
そこで政治が入る。
<不要>に対する政策は,「同化」である。
<じゃま>に対する政策は,「強制移住」である。
そしてこれが,アイヌの終幕となる。
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