Up | 事例 : 遺骨訴訟 | 作成: 2017-07-18 更新: 2017-07-18 |
毎日新聞 (北海道版) 2017-07-14
遺骨外交というのがある。 外交関係が立っていない,あるいは滞っている相手との外交突破口として,遺骨収集事業を用いるというものである。 なぜこれが政治ゲームとして有効なものになるかというと,《自明/問答無用》──「遺骨返還は,自明/問答無用」──がこのゲームのルールになるからである。 「遺骨返還」の想念,これは「遺骨」フェティシズムに還元される。 「遺骨」フェティシズムは,一つの文化である。 「一つ」の意味は,「普遍的ではない」である。 実際,生物一般は,「遺骨」フェティシズムとは無縁のものである。 そして,アイヌも,「遺骨」フェティシズムとは無縁のものである。 実際,自然の中で生かされている者は,死骸は朽ちて地や宙に返り,跡形も無くなるのをよしとする。 自然の生態がそのようなものであることを,カラダで知っているからである。 翻って,「遺骨」フェティシズムは,自然ではなくなった生活に現れてくるものである。 人類史では,農耕が「遺骨」フェティシズムの契機ということになる。 アイヌ史 (アイヌ系統者史) だと,「遺骨」フェティシズムは「和人化」の内容になる。 マスコミは,時の《自明/問答無用》に従い,かつこれを醸成・強化することが役割である。 《自明/問答無用》に対し,これを批判する役割のものは,科学である。 また,前科学的形態として,思想・文学・アートである。 「遺骨返還は,自明/問答無用」に対する根底的な批判の形は,上に述べた《「遺骨」フェティシズムの文化性》である。 そして,現前の文化に少しおもねた格好の批判として,《「遺骨」の帰属問題》が立つ。 何者が,件の「アイヌ遺骨」の帰属権利を主張し得るか。 主張し得る者はいない。 しかしここに,権利者を装う者が現れる。 その者は,自分を「アイヌの代表」に仕立てる者──特殊な精神構造により,自分を「アイヌの代表」に仕立ててしまう者──である。 その精神構造は,「前衛イデオロギー」である。 このイデオロギーは,自分を「アイヌの代表」に仕立てるだけではない。 自分を「正義の代表」に仕立てる。 そして自分の行動を,「悪の退治」と定める。 実際,一般に,イデオロギーのイデオロギーたる所以は,「世界を<善悪>でとらえる」である。 科学する者がここでよくよく留意すべきは,「前衛イデオロギー」は是非のはなしではないということである。 科学の科学たる所以は,「世界を<関係性>でとらえる」である。 科学にとって,「前衛イデオロギー」は生態系の力学の主題である。 「個の多様性」には,《集団は「前衛イデオロギー」の者を一定比率で設ける》が含まれてくるのである。 以下,「ピリカモシリ」(http://pirikagento.jugem.jp/?eid=155) から引用
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