Up | 「土地」の教養を欠く | 作成: 2016-12-12 更新: 2016-12-13 |
「遷移」の内容は,種の盛衰,優勢種の交替である。 フラスコに水を入れて放置する この中に,空気中に漂っている微生物が落ちてくる。 そしてこれが,フラスコの中に「遷移する生態系」を現す: フラスコの水の中に発生した微生物においては,つぎの訴えが成立する種は存在しない:
北海道を舞台にした「種の遷移」の中に,「アイヌ」が現れそして消えた。 この「アイヌ」が「われわれの土地を返せ,返せないなら賠償しろ」を訴えることは,成立しない。 実際,「アイヌ」も,何らかの形で先住種の土地取り上げをやっている。 しかも,「われわれの土地を返せ,返せないなら賠償しろ」は,「土地私有制」──「商品経済」を含意するところの「土地私有制」──のロジックである。 これは,土地が<「権利」をルールとして「私有」するもの>であるとき,言えることである。 フラスコの水の中の生き物は,「われわれの土地を返せ,返せないなら賠償しろ」を言わない。 フラスコの水の中は,土地私有制がまだ成立していないからである。 アイヌの土地が「土地私有制」の土地でないことは,つぎのことが端的に示す:
──「誰に何を」が定まらない》 実際,「われわれの土地を返せ,返せないなら賠償しろ」を唱える者は,このことばの意味を自分では考えないようにして唱えている。 自分でも考えられないわけである。 彼らは,だだをこねているのである。 だだをこねるのは,相手に構ってもらいたいからである。 子どもは,自分が何を欲しているかわからないとき,だだをこねる。 これは,自分がして欲しいことを親に見つけてもらいたいわけである。 「われわれの土地を返せ,返せないなら賠償しろ」を唱える者は,この子どもと同じである。 実際,彼らは,すっかり手詰まりである。 彼らは,「アイヌの代表」を装う。 しかし,彼らの後ろについている者はいない。 彼らは,引っ込みがつかなくなっている者たちである。 引っ込みがつかなくて,「われわれの土地を返せ,返せないなら賠償しろ」のだだをこねるしかなくなっている者たちである。 |