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村上島之允 (1809), p.631
ツクノイといへるは、とりもなをさず償ふの義にて、前に記せるが如く、罪を犯したる事あれば其あやまりの證として寶器を出さしめ、其罪を償はするなり。
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砂沢クラ (1983), pp.29,30
この家にはたくさんの思い出がありますが、忘れられないのはマカンザッシアザボが仕掛け弓で死んだあと、仕掛けをかけたコソンカアイヌがエカシにアシンペ (償い) をした時の光景です。
エカシとコソンカアイヌ、エカシの六人の息子たちが、炉の東へりからロルンプヤラの方向に向かい合って座り、コソンカアイヌがエカシの前に、トゥキ (儀式用の盃=さかずき) をひとつ差し出して言いました。
「私のかけた仕掛けであなたの息子が死んだ。本来なら、もっと立派な宝物を出さなくてはならないところだが、私にはこれしかない。許してくれ」
この時、コソンカアイヌは「クコロハンベ (私のお父さん)」とエカシに呼びかけました。実は、コソンカアイヌはエカシの最初の子供だったのですが、事情があってエカシの弟、間見谷ヌサチュウの子供になっていたのです。
末の男の子を死なせ、他家の子供になってはいるが自分の息子からアシンペを受けたエカシの気持ちはどんなであったでしょう。男たちも、フチも、みな泣きました。
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アシンペ
人を殺してしまったような場合に、加害者が被害者の身内に対して、自分の持つ最上の宝物を償いとして差し出し、許しを求めること。宝物とはイコロ (金銀の飾りが付いた宝刀)、シントコ (うるし塗りの容器) など。
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引用文献
- 村上島之允 (1809) :『蝦夷生計図説』
- 砂沢クラ, 『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
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