Up なわばりの形成と侵害 作成: 2018-12-25
更新: 2018-12-25


    自分たちの近くに他の集団がやってきて,漁/猟/採集をする。
    これによって自分たちの収穫量が減るとき,その集団を追い払いたくなる。
    しかし,実際に追い払おうとすれば,争いになる。

    争わずに済ます方法は,なわばりを設定することである。
    なわばり分けは,「痛み分け」である。


    獲物分布は,変化する。
    いちどは合理的であったなわばり分けが,不合理になる。
    あるいは,取りきめに対する厳格意識が,時間経過とともに薄れるということもある。
    こうして,なわばり侵害事件が発生するようになる。

    なわばり侵害が起こると,報復合戦 (「やられたらやり返せ」) になっていく。
    この先にあるのは,戦争である。

      高倉新一郎 (1936), p.168
    寛文九 [1669] 年の蝦夷乱をはらんだメナシクルとハイクルの紛争は、先づ染退川(シブチャリ)治岸の漁猟権を中心として次第に悪化していったものである。
    「津軽一統志」の記するところによれば、乱のあった四年前すなわち寛文五年初頭、メナシの者が川上へ鹿取りに上ると、
     「 オニビシ (ハイクルの酋長) 是を見付、山へ押懸、其方共は川にて魚取申事は自由にて可之候。従是奥山之義はとらせ申間敷由談判」
    して取らせず、しかも翌年ハイクルが川下に来て魚を取ってメナシクルの恨を買い、こうした紛争が重って遂には殺傷をするまでに至った ‥‥


    なわばりは,どこでも形成されるというものではない。
    位置関係の上から<獲物の取り合い>になってしまうような集団の間で,なわばりは形成される。


    引用文献
    • 高倉新一郎 (1936) :「アイヌの漁猟権について」,『社会経済史学』第6巻6・7号, 1936
      • 高倉新一郎『アイヌ研究』, 北海道大学生活協同組合, 1966, pp.163-217