Up 作成: 2018-11-14
更新: 2018-11-14


       最上徳内 (1808), p.525
    長たるもの大抵妾多し。
    性悪なるものこれによりて人の患をなすこともあれど、偏に奢侈淫欲のためのみにしかるにもあらず。
    或は人ありて某貧(もし)は老病なり。
    かれが女子よのつねの夫にしたがひては活計もおぼつかなし。
    彼がために長が妾となせよなど仲たちする事あり。
    (すで)にこれをゆるしては、僕妾の義にかゝはらず、妾の身はいふに及ばず。
    それが父母兄弟もたゞちに長が家族と成て、養は長が力によるといへども、漁獵採草みな長がためにつとむ。
    私財なし。
    故に妾多きものは何事も助くる者おほくして愈益富を重(ぬ)るなり。
    若妾三人あれば三所におき、時に其宅にいたる。
    七十、八十の長が廿、卅の妾三、五人も七人も有り。
    それらのこときは一年、二年に一たびもいたり宿することありなきにいたるなれど、怨ねたむこともなし。
    漁事なとのいとまなきにあへば相集りてつとむ。
    妻か心によりては妾をも同居せしむるあり。
    妾にあらぬ奴婢などを買て臣とするといふことなし。
    男子にでも弧貧獨立することあたはず、長などか家に食客となるものはあれども、只某かウタレと呼で奴僕などいふ名なし。
    ウタレとは衆といふことにて、某が所に居る人といふことなり。


    引用・ 参考文献
    • 最上徳内 (1808) :『渡島筆記』
        高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.521-543