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最上徳内 (1808), p.525
長たるもの大抵妾多し。
性悪なるものこれによりて人の患をなすこともあれど、偏に奢侈淫欲のためのみにしかるにもあらず。
或は人ありて某貧若は老病なり。
かれが女子よのつねの夫にしたがひては活計もおぼつかなし。
彼がために長が妾となせよなど仲たちする事あり。
已にこれをゆるしては、僕妾の義にかゝはらず、妾の身はいふに及ばず。
それが父母兄弟もたゞちに長が家族と成て、養は長が力によるといへども、漁獵採草みな長がためにつとむ。
私財なし。
故に妾多きものは何事も助くる者おほくして愈益富を重(ぬ)るなり。
若妾三人あれば三所におき、時に其宅にいたる。
七十、八十の長が廿、卅の妾三、五人も七人も有り。
それらのこときは一年、二年に一たびもいたり宿することありなきにいたるなれど、怨ねたむこともなし。
漁事なとのいとまなきにあへば相集りてつとむ。
妻か心によりては妾をも同居せしむるあり。
妾にあらぬ奴婢などを買て臣とするといふことなし。
男子にでも弧貧獨立することあたはず、長などか家に食客となるものはあれども、只某かウタレと呼で奴僕などいふ名なし。
ウタレとは衆といふことにて、某が所に居る人といふことなり。
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引用・ 参考文献
- 最上徳内 (1808) :『渡島筆記』
高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.521-543
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