|
喜多章明「旧土人保護事業概説」, 北海道社会事業, 第51号, 1936.
『アイヌ沿革誌 : 北海道旧土人保護法をめぐって』, pp.79-105.
pp.80,81
されど元来漁藻の裡に育ち、因襲の久しき漁猟の生活を続けて来た同族は容易に農耕に親まず、給与地の開墾は概ね鍬下条件を附して和人に貸付した。
結局給与地の開墾は和人の手に依りてなされた。
この習慣は容易に改らず成墾後も引続き僅少の賃率を以て長期に亘る賃貸借契約を締結し、而もその賃貸料は当初に於て一時に先取 ─ 前借する為、結果に於ては全く所有権を譲渡したると同様の形となった。
かくて地主たる旧土人は常に貧困の裡に沈淪し、襤褸を纏ふて市井の巷を彷徨するに反し、賃借和人は更に之を利鞘を取って他に転貸し、一躍数万の富を獲得すると言ふ弊害も出で来った。
茲に於て道庁は之が弊害を除き、旁々旧土人の飲酒、浪費の弊風を矯正せんが為に、道内十戸以上を有する土人部落に土人保導委員を設置し、給与地賃貸借契約の整理は勿論、普く弊風の矯正、並に指導教化に当らしめた。
当時嘱託されたる委員は百二十六名であった。
かく保導委員を設置して給与地の整理を行ひ、保護法の所期する勧農の目的を遂行せんとしたが、複雑なる利害関係者の中に立って之が解決を遂げ、整理を遂ぐるには一保導委員の力、到底及ぶべくもなかった。
之には、より強力なる機関を要求された。
|
|
|