|
喜多章明「旧土人保護事業に就て」, 北海道社会事業, 第50号, 1936.
『アイヌ沿革誌 : 北海道旧土人保護法をめぐって』, pp.59-78.
p.74
本道の開拓方針は、内地人を移して之に当らしむる事になったが故に内地人は歳と共に増加し、新しい天地に於て目覚しい活動が開始された。
即ち明治五年、八万八千九百余人であった人口が、明治十年には十八万となり、十五年には二十四万人となった。
而して是等の移民は未だ永住の意志なく、新天地に於ける一擢千金を夢見て渡道したものであったから、眼前の利益以外何物もなく、更に永久を顧慮する処なく濫獲を行ったから、さしもの天然資源も漸く減滅し、土人等は唯一の生活資源を失って路途に迷ふに至った。
──即ち従来の如く海に漁り、山に猟して生活することは至難となった。
|
|
|