|
砂沢クラ (1983), pp.34-36
祖父のモノクテエカシが、いつも聞かせてくれた孫じいさん (曽祖父) の、そのまたじいさんの時代の話です。
むかし、むかし、アイヌたちは毛皮を船いっぱいに積んで遠い海を渡り、アトゥイヤコタン (海の向こうの国=大陸) へ行っては、宝物や着物、食べ物や酒と換えて帰ってきていました。
‥‥
家には祖先のじいさんやエカシが毛皮と交換してきた宝物がたくさんありました。 ‥‥
宝物の中に、大昔、アトゥイヤコタンから持って来たという古い布がありました。絹糸の部分はすり切れ、金糸だけがすっかり茶色になって残っていました。ユーカラに歌われているコンカニコソンテ (金の着物) そっくりでした。
あの布が残っていたら、いまの学問で調べると、アイヌがアトゥイヤコタンまで行っていたことがはっきりとわかると思います。残念でなりません。
|
山靼交易
黒竜江下流に住む山靼(たん)人は中国産古衣、織物、玉を持参、樺太や宗谷の蝦夷と交易していたが、蝦夷の中にも清の官位を受け、山靼地方へ行き交易するものが出てきた。
和人は古衣、織物を蝦夷錦、玉を樺太玉と称し、珍重した。
(新北海道史第二巻)
|
|
|
引用文献
- 砂沢クラ, 『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
|