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Batchelor (1927), pp.79-82
北海道の沿岸ではオットセイ(膃肭臍) はもうほとんどその姿を見ることが無くなってしまったが、以前には北方の海域には多く住み、毎年のように繁殖の地であるシベリアの海へ'向かう途中、群れをなしてハコダテの沿岸や噴火湾を泳ぎながら通過していたのである。
アイヌはこのオットセイを沢山捕らえて交易用の毛皮にしたり、また自分たちの柔らかくて着やすい衣料とし、その肉は食料にした。
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陸地での生き物は、北海道には沢山の動物がいて肉類も豊富である。
ヒグマ(羆)の肉、鹿の肉、その他タヌキ(狸)、キツネ(狐)及び野兎も多くいるので食料に不自由することはなかった。
すべてこれらの毛皮は、和人やマンチューリアン(満洲人)との交易品とされ、その見返りの品として、ウルシ(漆)塗の器、陶磁器、鉄鍋類、衣料用品、綿布、古い万剣類、マンチューリアの上着(蝦夷錦)、耳飾り、ガラスきせる玉などであった。
従って、マンチユーリアの煙管や、腕輪や古銭を装飾用にしているのをふと見かけることがある。
これらの品はすべて米や酒の場合と同じように、鮭や鹿の角や獣の毛皮と交換して得たものであった。
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大きくて立派な鮭は一匹一シリング(十二ペンス)で手に入った。
鱒は四ペンス、野ウサギは三ペンス、蝦夷ライチョウ一羽二ペンス、米が一袋二シリングの頃であった。
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砂沢クラ (1983), pp.35,36
家には祖先のじいさんやエカシが毛皮と交換してきた宝物がたくさんありました。
ウルシ塗りのテクシパッチ (四つの持ち手が付いた酒入れ)、トゥキ (神事用盃=さかずき)、イコロ (宝刀) やエムシ (刀)、イクパスイ (神事用ハシ) を納めたカパラシントコ (六角または八角の塗り物のオケ)、刀のツパを入れたスポツプ (塗り物の箱) などが、イヨイキリ (神棚) の内にも外に,も並んでいました。
家の北側にケヤ (差しかけの屋根) をおろして作った小部屋の棚には、タマサイ (首飾り)、ニンカリ (耳輪) などの女の宝物、金銀で刺しゅうをしたエカシや父の着物がしまってありましたが、これも物々交換で持ち帰ったものでした。
宝物の中に、大昔、アトゥイヤコタンから持って来たという古い布がありました。絹糸の部分はすり切れ、金糸だけがすっかり茶色になって残っていました。ユーカラに歌われているコンカニコソンテ (金の着物) そっくりでした。
あの布が残っていたら、いまの学問で調べると、アイヌがアトゥイヤコタンまで行っていたことがはっきりとわかると思います。残念でなりません。
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引用文献
- Batchelor, John (1927) : Ainu Life And Lore ─ Echoes of A Departing Race
Kyobunkwan (教文館), 1927.
小松哲郎 訳『アイヌの暮らしと伝承──よみがえる木霊』,北海道出版企画センター, 1999.
- 砂沢クラ, 『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
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