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「根諸場所大概書」, p.582
男は春三月上旬よりにしん漁にかかり、
にしんは製して干すを外割りと言う。
子を干し上げ、数の子・白子を仕立て、えらを干し上げ笹目と言う。
たら・さめ漁も有り。
夏は椎茸をとる。
煎海鼠も少し宛あり。
ます漁は数か所に引き網して油をてんし粕を干し立てる。
八月よりは鮭漁にかかり、
塩引きとして年内江戸表へ積み回し秋味と唱う。
場所第一の出産物なり。
十月頃より夷人川上へ登り鮭を取りて食料にたくわえ、
多き年はあたつ鮭 (干し鮭のこと) とて交易にも出すなり。
これより寒中春へかけ、
雪中川筋にて鷲を捕え、
山に入り獣を狩り、
氷海に出てあざらしを取り、
肉を食し、尾羽・革を交易に出すなり。
女は右漁事の手伝いを致し、場所に寄りて厚し (アツシ) を織り男女着用をすれども、一体厚し不足の土地にて多くはきな (むしろ) あるいはすだれを織り、業として暮らすなり」
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「佐留場所大概書」, p.543
夷人業は
春は海辺へ出て釣物をなし、
夏は生海鼠を引、昆布を刈、
秋に至千年川鮭漁出稼致し食糧を貯へ、余分は干立て荷物に出し、
冬は山家へ帰り漁船又は網を拵へ、榀縄をなひ、
女は厚しを織、キナ筵を編み、
男女共春より秋迄漁業、
手透の節は粟、稗を作り、或は茎立の草 同根を刈取、魚へ交て食糧資とす。
一体夷人大勢にて産物乏しき場所故、夷人経営不レ宜方也。
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引用文献
引用文献
- 『東蝦夷地各場所様子大概書』「佐留場所大概書」, 1808
- 北海道[編]『新北海道史 第7巻 史料1』, 北海道, 1969. pp.539-543
- 同「根諸場所大概書」, 1809
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