Up 運上屋務めを生計にする 作成: 2019-02-01
更新: 2019-02-01


    松浦武四郎の第6回蝦夷地調査では,人別改めが行われている。
    その報告書である『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』から,
      「サル場所近郷のアイヌで,運上屋に雇われに出ている者の数」
    を数えると,つぎのようになる:

    門別川筋93人中30人 (「茂無辺都誌」)
    沙流川筋, 河口〜額平川分岐点693人中245人 (「沙留誌 壱・弐」)
    額平川筋132人中44人 (「沙留誌 参」)
    沙流川筋, 額平川分岐点から上流132人中 43人 (「沙留誌 肆」)

    計 1050人中362人

    そしてその内容は,武四郎の言い方を用いれば
      「皆若きものは雇に下られ在、老少のみ残りける」
    となる。
    また武四郎は,この断定を補強する趣きで,働き盛りの年齢ながら雇いに出ていない者について,その理由を特に付したりしている (「馬鹿」「気抜」「跛」)。


    この状況は,アイヌが運上屋務めをすっかり生計になしていることを示している。


    引用文献
    • 松浦武四郎 (1858) :『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』
      • 高倉新一郎[校訂], 秋葉実[解読]『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上巻』『中巻』『下巻』, 北海道出版企画センター, 1985.
      「戊午第三十八巻 東部 茂無辺都誌 全」,『中巻』, pp.609-634.
      「戊午第三十九巻 東部 沙留誌 壱」,『中巻』, pp.635-667.
      「戊午第四十巻 東部 沙留誌 弐」,『中巻』, pp.669-702.
      「戊午第四十一巻 東部 沙留誌 参」,『下巻』, pp.11-45.
      「戊午第四十二巻 東部 沙留誌 肆」,『下巻』, pp.47-83.