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串原正峯 (1793), p.517
六月十日宗谷會所にてヲムシヤを致したり。
是は、最早海鼠引漁事も仕廻、夷ども夫々我場處へ歸村いたし度旨相願、ユウベツ其外下地の夷とも歸村致すに付、乙名たてのもの三人、今日會所にてヲムシヤをいたすに、此時は夷とも着服を改、會所下段にキナを敷夫え出る。
其時タカサラにツ゚ーキをのせ、イクバシを添出す。
タカサラは盃臺、ツーキは盃、尤汁椀を用ゆ。
イクハシといふは粘飯箆のこときものなり。
是は髭あけなり、〔木村と予兩人亭主にて盃を始め、〕先官土木村氏少し呑で上座の乙名へさす。
其時予も少し呑て其次座の乙名へさす。
尤盃をさすに右のツ゚ーキに酒を一盃つがせてさし出せは、盃臺ともに請取りて、アゝ/\と禮をなし、イクハシを右の手に持ち、イクハシの先へ盃の内の酒をつけ、天地四方海山火水の神へ手向、其イクハシを以て鼻の下の髭をすくゐ上て飲なり。
尤いか程大盞にても二口に呑仕廻なり。
夫より又酒をつぎ、此方へ戻すなり。
如レ此銘々盃事終りて、壹人に酒小樽壹つ、醪壹樽、烟草貳把、塗箸壹膳、匕壹本づつ相渡せば、禮を述て退くなり。
其外の夷ともへは濁り酒を呑するなり。
右乙名ともへ遣したる品の内、酒壹樽は差引勘定の時勘定に入るゝなり。
其外の品々は無代にて遣すなり。
扨七月下旬になりて交易濟て惣ヲムシヤの時は、
宗谷乙名だて二十三人え壹人前八升入米貳俵、麹七升入半俵、烟草壹把づち遣し、銘々盃事は前の通りなり。
此時は會所にては手狭故、會所の外へ差掛をなし、其所へ乙名ともを呼出し、壹人づゝ通辭手を引出る。
其時被レ下物を渡し、飯を給させ、盃事をなすなり。
其外の夷ともは残らす外へ莚を敷、行器に濁り酒を入段々間配り、兩方に夷とも向ひ合て並ひ、盃をなすなり。
夫より酔に乗し、踊をおとり、其外いろ/\戯れをなし、メノコ打交り、終日祝ひ遊ふなり。
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引用文献
- 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.
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