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平秩東作 (1783), p.427
鮭は八月の頃、川々へ登るを捕て大船へ直に鹽漬にす。
鹽引、鹽辛、楚割、荒巻、筋子、子籠などさまざま品あり。
わけてイシカリ川といふ川、此地第一の大川にて、千石船二、三里が間は滞りなく馳せ込といへり。
蝦夷人共、網をおろし、捕たる鮭を代物にかへ、直に船へ積込諸国へ廻すを秋味といふ。はかゆくを専らとする故、肉もろく、臭みなど出るものあり。風味大におとりたり。
蝦夷地にても松前にでも、食料につくりたる鹽引、越後、奥州より出たる鹽引より風味すぐれ、わけて筋子などは、蝦夷地より出たるもの味至て美なり。
毎年秋になれば、川ある所はことごとく鮭のぼる。
枝川などありても傳ひのぼりて、のちは水なき所までのぼりて子をなす。
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小川なども打鉤 [アイヌ語 : マレック] にかけて引上るに、三、四百づゝ捕るといふ。
大川におろす網はいやがうへにおろせども、魚かゝらずといふ事なし。
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鮭、二十頭を一束として、例年二百萬束 [=4千万匹] ほど捕るといへり。
價やすき時は、松前、江差邊にて、一頭にて鳥目 [銭] 二、三十文にひさく事あり。
先年至てやすき事あり。
草鞋一足に魚一つを替しといふ。
蝦夷地にて交易するは、此定にあらず。
定たる直段もなし。
蝦夷人、船に積来りて、取かへくれよとせがむ。
船あまたなれば、しばらく待べきよしをいへども、聞入ず、我先にとりかへん事をのぞむゆへ、此方のもの煩らはしがりて、此鮭はあしきといへば、たゞちに其船をうちかへし、鮭を川へすてゝまた外のさけを積来る。
價のやすき事、是にておしはかるべし。
すてたる鮭を後にとり上て木の枝へかけほしたるもの、乾鮭なり。
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引用文献
- 平秩東作 (1783) :『東遊記』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻』(探検・紀行・地誌. 北辺篇), 三一書房, 1969. pp.415-437.
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