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Bird (1880), p.188
[森への] 道中で私は丸木舟[チプ] に乗った二人のアイヌが、磯波を浴びながら浜に上がるのを見た。
彼らは100マイル[160キロ] 近くもこれを操ってきたという。
川用の丸木舟[チプ] は一本の丸太を削り込んで作られ、一艚作るのに二人で五日もあればできるが、長さが25フィート[7.5メートル]あるこの舟を調べてみると、舟は二つの部分からなり、舳先から艫までずっと非常に強力な樹皮でつながれていて、舟縁も同じようにつなぎ合わせて高くしてあることがわかった。
彼らは、このような二つの部分からなる舟を作ることによって、自分たちが荒海や磯波を受けるところでも十分耐えることができると考えているのである。
彼らが作る樹皮の綱[ヤ]は見事であり、細い撚糸から九インチ[23センチ] もの太さのある太綱まで、あらゆる太さに編む。
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村上島之允 (1809),「四 (造舟の部)」「五 (續造舟の部)」から引用:
舟敷となすべき木を伐んとして其地の神を祭る圖
舟敷となすべき木を尋ね山に入んとして山神を祭る圖
舟敷作りはじむる圖
舟敷の大概作り終りて木の精を祭る圖
舟敷作り立る圖
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木の精を祭る事終りて其大概作りたる船敷を山中より出し、住居のかたはらに移し置て、それより作り立るの工夫にかゝる也。
まづ‥‥敷の両縁のうちに横木をいれ、内えしぼまざるよふになし、また舳、艫に莚よふの物を厚く巻き、ひゞの入り損せざるよふにして幾日とい
ふ事なく日にさらし置く也。」
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「 |
その木の能々乾きかたまりてゆがみくるいとふの出ざるをまち、‥‥地に角木をならべしき、其上に敷をすへ、うちに大小の石を入れ、すはりの穏かなるよふになし、さて水を十分にもるなり。
此水のおもむきにて舳、艫両縁より初めすべて形ちの善悪を考へ、其外水上往来の遅速、波濤を渉るの便利、或は出岸、着岸または陸にあげおろしの事とふまで子細に船の様子を熟慮して、其高低曲直を漸々に削りなをすなり。」
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「 |
すべて夷人の境いまだ規矩といふものもあらず。
唯かゝる工夫のみにて作り出せる故、心を労し、思を焦し、数月をかさぬるにあらずしては数壹(壱)つを作り得る事もならざる也。
そのうち月日を重ね、纔に作りたる敷にも彼是の便利あしければ徒にすつるもありて、其辛苦を極むる事言葉につくしがたし。」
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舟敷成就の圖
みよしの圖
とだての圖
羽板の圖
さか板の圖
よれかゝりの圖
目塞ぎの圖
あばら木の圖
テシカの圖
舟製造なかばの圖
舟製作全備の圖
シリキナイよりヒロウまでに用ゆる船
ヒロウよりクナシリ迄に用ゆる船
舟の製作終りて舟神を祭る圖
- 引用文献
- 村上島之允 (1809) :『蝦夷生計図説』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.545-638.
- 函館市中央図書館デジタル資料館『蝦夷嶋図説』:
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5
- Bird, Isabella (1880) : Unbeaten Tracks in Japan
- 金坂清則 訳注 『完訳 日本奥地紀行3 (北海道・アイヌの世界)』, 平凡社, 2012.
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