Up マンボウ猟 作成: 2018-12-04
更新: 2018-12-10


      松田伝十郎 (1799), p.98
    一、ホロベツ 地名 シラオイ 地名 、此邊にキナンポー (まんぼう) といふ海獣あり。
    是を漁して油に(しめ)、キナンポー油とて出荷物なり。
    此キナンポーといふは形ち龜なり。
    大き成るは疊三疊丈けに、或るは貳疊丈けもあり。
    右を漁するには、夷舟にて夷人兩(二)三人づゝ乗組、沖合へ出て、右キンナポー見附次第ハナレ ヤスの事 を附て漁し、
    舟へ引付置て、夷人どもキナンポーの甲に乗り、腹を断割(たちわ)り、臓腹、油わたの類残らず舟へとり入れば、
    夫よりイナヲを削りて腹の内へ入れ放すといふ。
    一日に貳つ、三つも取獲、前の如くいたし放すと云。
    右のキナンポー助命して再度とらるゝといふ。
    右様臓腹を抜れしものゝ助命いたすべき道理なし。 仁三郎 [松田伝十郎] は信用せず。
    夷人の語るを聞に、二度め取れしは入れ置しイナヲのあると云。
    其上キナンポー油とて出荷物にいたせし程の死甲(し骸)、如何様の時化大波にでもひとつも海岸へ打寄り揚りし事昔より聞(か)ずと。
    支配人、番人などもこれを申。
    餘り不思議なる事なれば聞まゝに爰に顯す。

      菅江真澄 (1791), pp.560,561
    リブンゲツプ (礼文華─豊浦町) の浜はアヰノの(チセヰ)、シャモの番人の(やど)あり。
    アヰノの、タoツ笠とて樺皮(カニバ)の笠着て釣し、あるは丸はだかなるも、あまた舟を舫(もや)ひ、あるは、こぎならべたるにちかく□(扌+旁)ぎよれば、貴人(ニシバ)とてみな衣とり着けり。
    キナボ突得たるに、ふたところまでハナリ立ながらきりあばき、あぶらわた取いだし、その血にまみれたる、ちひろのゑなはの、(こう)縄のやうに流て波も汐も紅に染たるをたぐり、手にからまき,つくりとるべきしゝは,みなエビラしてきりとり、左右の(ひれ)にヰナヲかい削りさし貫き、ハナリの(から)の石つきもて海そこにつき入て、舟こぎ散りぬ。


    引用文献
    • 松田伝十郎 (1799) :『北夷談』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.77-175
    • 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』