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松田伝十郎 (1799), p.98
一、ホロベツ 地名 シラオイ 地名 、此邊にキナンポー (まんぼう) といふ海獣あり。
是を漁して油に〆、キナンポー油とて出荷物なり。
此キナンポーといふは形ち龜なり。
大き成るは疊三疊丈けに、或るは貳疊丈けもあり。
右を漁するには、夷舟にて夷人兩(二)三人づゝ乗組、沖合へ出て、右キンナポー見附次第ハナレ ヤスの事 を附て漁し、
舟へ引付置て、夷人どもキナンポーの甲に乗り、腹を断割り、臓腹、油わたの類残らず舟へとり入れば、
夫よりイナヲを削りて腹の内へ入れ放すといふ。
一日に貳つ、三つも取獲、前の如くいたし放すと云。
右のキナンポー助命して再度とらるゝといふ。
右様臓腹を抜れしものゝ助命いたすべき道理なし。
仁三郎 [松田伝十郎] は信用せず。
夷人の語るを聞に、二度め取れしは入れ置しイナヲのあると云。
其上キナンポー油とて出荷物にいたせし程の死甲(し骸)、如何様の時化大波にでもひとつも海岸へ打寄り揚りし事昔より聞(か)ずと。
支配人、番人などもこれを申。
餘り不思議なる事なれば聞まゝに爰に顯す。
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菅江真澄 (1791), pp.560,561
リブンゲツプ (礼文華─豊浦町) の浜はアヰノの館、シャモの番人の家あり。
アヰノの、タoツ笠とて樺皮の笠着て釣し、あるは丸はだかなるも、あまた舟を舫(もや)ひ、あるは、こぎならべたるにちかく□(扌+旁)ぎよれば、貴人とてみな衣とり着けり。
キナボ突得たるに、ふたところまでハナリ立ながらきりあばき、あぶらわた取いだし、その血にまみれたる、ちひろのゑなはの、栲縄のやうに流て波も汐も紅に染ミたるをたぐり、手にからまき,つくりとるべきしゝは,みなエビラしてきりとり、左右の鰭にヰナヲかい削りさし貫き、ハナリの柄の石つきもて海そこにつき入て、舟こぎ散りぬ。
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引用文献
- 松田伝十郎 (1799) :『北夷談』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.77-175
- 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』
- 『菅江真澄集 第4』(秋田叢書), 秋田叢書刊行会, 1932, pp.493-586.
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