Up オットセイ猟 作成: 2018-11-28
更新: 2018-12-10


      松田伝十郎 (1799), pp.94,95
    獵する具はハナレ ヤスの事 と云ひて、柄の長さ貳間三間程にて、(やり)の柄のごとく成るものを以突留獵す。
    是則子供の時分より遊び習ひし手練也。
     ‥‥ 一、膃肭臍を獵する事はオシヤマンベ 地名 と云所よりエトモ 地名 と云所まで六ケ場所。
    一場所に壹艘、貳艘又は三艘と定りありて、其所の役にして、冬至より来春二月迄の内海上和波にして晴て穏なる日をゑらみ、其場所場所より定めの通り舟數出舟す。
    是をデバ舟と云。
    屈強(くつきよふ)の男夷壹艘に三人宛乗組、大(よふ)へ出、櫓櫂をやめ、煙草をも呑(ま)ず至て静にして海面を守り居。
    何方より出舟もみな同様にして、汐風に流るゝときは手を以水をかき、漁場を離れざる様にいたしおるなり。
    然る處、膃肭臍は穏なるに乗じ、水上へ十疋も二十疋も浮び、飛つ(おと)りつ遊び居、やがて眠を催し、熟睡して其内より一つ、二つ汐風にながれ出るを、夷人是を見附るとなを静にして、大概七、八間にもなればハナレを以(て)なげ、突にしてこれを取、
    獲るや最初ハナレを(つけ)し夷を勝負の夷と唱へ、夫より二の夷、三の夷と褒美に高下あり、尤價も右に准じわけ遣す事なり。


    村上島之允 (1800), pp.117-120.
     「 蝦夷島ヲシャマンベの蒼海に膃肭獣を出せり。
    冬十月より春三四月頃まて夷に命して是を取しむ。
    此漁事を能する者をデバ蝦夷といえり。
    其頃にいたれは物忌くさくさなして舟を清浄め、木幣(イナヲ)、神酒を奉りて、海神舟神をまつる。
    ‥‥
    空おたやかに、波静なる日をうかゝひて漁事に出たるあとにて物音を禁し、家の婦女ら、食事さえひそかにせされは彼ウ子ヲ、物驚して眼をさますと云。」


     「 捕獲て歸れは窓より入るゝ。
    其外、漁具の出し入まても悉く窻よりせされ再獲る事難しと謂へり。」


     「 獲来て會所に出せは、米,衣服,烟草をあたふる。」



      菅江真澄 (1791), pp.548-550.
    此ウネヲてふものは(シャバ)は猫に似て、身(むくろ)は獺(をそ)にことならぬ獣也。
    もろこし人は膃肭といふものの、それが(ハング)といへどしからず、まことは、それが雄元(チエヰ)(たけり)をとりて薬とはせり。

    (図は,村上島之允 (1800) から引用)
    ウネヲは、かんな月の寒さを待得て、冬の(ヘロキ)(にしん)の集(すだ)くをくはんと追ひあさるを、蝦夷舟(チイツフ)こゝら、このコタンより乗出て、突きてんとねらひありけど、
    冬の海のならはしとて、いつも浪あれ風はげしければ、アヰノら挙て平波(ノト)(なぎ)あらん事をいのり、斎醼(カムヰノミ)とて神にみわ(酒)奉り、をのれらも酔ひ、かく祈禱(ツシユ)して、
    あら浪のうちなごむしるしをうれば、海はいづらにかウネヲのあらんと(シユマリ)(シャバ)を、をのれをのれがかうべにいたゞき ‥‥ そとふりおとして、そのシユマリのシヤバの口の向たらん方に、ウネヲのあるてふ神占(トシユヰ)して、
    それをしるべに十余里の沖に、あまたの(チイップ)をはるばるとこぎ出るに、たがはずウネヲは、あをうなばらの潮と浪とを枕に寐るといふ ‥‥
    それが寝るに、そのかたちしなじな(品々)也。
    ヨコモップといふは片(テツヒ)にて、ふたつ()(ケマ)をとりおさへて、左のテツヒをぱ海にさしおろし、汐をかいやりてふしぬ。
    これには、投鋒(ハナリ)いと撃やすし。
    テキシカマオマレとて、片(テツヒ)をば水にさし入れ、右のテツヒを腰にさしあてて、シヤバのなからばかり潮にひぢて寝たり。
    チヨロボツケとは、かたテツヒを水に入れて、さし出したるふたつの(ケマ)を、かたテツヒしておさへたり。
    カヰコシケルといふは左のテツヒを水に入れ、右のテツピを上にさLげて、身をふるはして寝たり。
    セタボツケといふは(セタ)の寝(ふ)したる姿にことならず。
    かゝるなかにも、テキシカマオマレといふが耳のいとはやき宿(ね)やうなれば、いつも、これを突もらすと、蝦夷(アヰノ)物話(イタク)にせり。
    ウネヲの牝をポンマップといひ、牡をデタルウネヲといへど、寤寐(ごび)たるすがたは牝牡ともにことならず。
    ウネヲの(レバ)にとて(ヲツカヰ)の沖に出れば ‥‥ (メノコ)はゆめ(ケム)も把らず木布(アツシ)も織らず、(アマム)もかしがず手もあらはず、たゞふしにふしてのみぞありける。
    其ゆへは、オツカヒ(レバ)に出てハナリ(投げ銛)とりうちねらふに、そのアヰノの家に在るへカチにてまれ、メノコにてまれ、(チセヰ)にせしとせし事のかぎりを、波に寝たるウネヲの、ふとめざめてそのまねをすれば、えつきもとゞめず、
    手もむなしう、はらぐろにのゝしりこぎ皈(帰)り来て、けふはしかじかの事やありつらんと、そのせし事どもを掌をさすやうにとふに、家に、せしとせしわざの露もたがはねば、屋を守る人、をそれをのゝき、身じろぎもせずして、ふしてのみぞありける。
    かゝればウネヲも、うなの上に能ふし、よくいねて、(うち)やるハナリのあたらずといふ事なけんと。
    つとめてウネヲを漁りに出んといふとき、なにくれと其(レバ)の具どもを南の(フヰ)より取出し、カンヂ,アリンベ,ウリンベ,マリツプやうのものとりそろへ□(扌+旁)出て、
    海の幸もありてウネヲを捕得て皈来て,
    其ウネヲをば船底に隠しおきて舟よりおりて、をのが家に入て、
    ウネヲ撃たる事は露もそれともらさで,なにげなう,つねの物話をし,(たばこ)酒くゆらせなどして、
    れいのごとく南の窓より、撃たるウネヲも、その(レバ)の具も取ぐして入れ、
    ウネヲをぱ厨下(うちには)に伏せて、臠刀(エビラ)もてウネヲの腹を(さき)(ニンゲ)を採りしぼりて、
    舟の舳に、ウネヲの血ぬる斎祀(まつり)あり。
    ウネヲをさいたる小刀(エビラ)もて、ゆめ、こと魚を、さきつくることなけん。
    十月(かみなつき)のへロキにあさるウネヲより捕り()め、春の海に突めぐり、夏のはじめ卯月の海となりては、シャモの名に智加(ちか)といひ、アヰノこれをヌラヰといふ魚にあさるを取りて ‥‥、卯月の末にウネヲのレバの具をばとりをさめ、ひめおきて、こと(レバ)にさらに用ざる、此コタンのならはし也。
    ウネヲひとつとり得ても、米、酒、淡婆姑(たばこ)などの酬料(ぶんま)を、それぞれにおほみつかさよりものたうばりけれぱ、此御恵のかしこさに、むくつけき、あら蝦夷人もこゝろなごやかにうち挙り、よろこびの涙磯輪にみちて、かゝる貢をば、をのれをのれが命にかへて、あら潮のからきうきめもいとはず、八重のしほぢをかいわけでとりて奉り、公にも、みつぎにそなへ奉り給ふといふ。



    引用文献
    • 松田伝十郎 (1799) :『北夷談』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.77-175
    • 村上島之允 (1800) :『蝦夷島奇観』
      • 佐々木利和, 谷沢尚一 [注記,解説]『蝦夷島奇観』, 雄峰社, 1982
    • 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』