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菅江真澄 (1791), p.514
此コタンのアヰノの舟にこぎ送られて,‥‥
阿袁といふ魚 [アオザメ (地方名アオ)?] の,あら波をしのぎあまたむれ行を,
舳なるアヰノ,くはやとてしらすれば,
楫を捨てハナリをとり立ねらひ,ひとりにこぎまかせ,やといひてうちやれど,
それ行てたゝさりければ,舟なかに足ぶみをしてウコラモコラといふは,あなくちをしと,いひはらだつこととなん。
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同上, p.560-564
‥‥ こゝらの黒魚(いるか)、沖もせに群れ行が行あらそひ、波を離れて五六尺斗も飛あがるを見て、ハナリ撃てんとアリンベ (一本銛) にギテヰ(銛頭)てふものをさし、アヰドスとて細き縄をギテヰに付て、柄もひとつにとりもて、ぬかにこれをさしかざし、たちねらふにおぢて浪のそこにしづみかくろふを見て、あなねたしとて船追ふ。
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引用文献
- 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』
- 『菅江真澄集 第4』(秋田叢書), 秋田叢書刊行会, 1932, pp.493-586.
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