観光"アイヌ" は,つぎを生計にしようとする者である:
<見世物に出る>
──「アイヌ」を見たい者に「これがアイヌだ」のショーをして,料金をとる
文学"アイヌ" は,「これがアイヌだ」のウソを見る。
そして,このウソを批判することになる。
違星北斗 (1901-1929)
『違星北斗遺稿 コタン』(草風館, 1995) から引用:
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白老のアイヌはまたも見せ物に 博覧会へ行った 咄! 咄!!
白老は土人学校が名物で アイヌの記事の種の出どころ
芸術の誇りも持たず 宗教の厳粛もない アイヌの見せ物
見せ物に出る様なアイヌ彼等こそ 亡びるものの名によりて死ね
聴けウタリー アイヌの中からアイヌをば 毒する者が出てもよいのか
酒故か無智な為かは知らねども 見せ物として出されるアイヌ
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鳩沢佐美夫「対談・アイヌ」,『日高文芸』, 第6号, 1970.
『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』, 草風館, 1995. pp.153-215.
以下,『沙流川─鳩沢佐美夫遺稿』から引用:
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p.168
ところで、空飛ぶ円盤って、どう思うかな?
昭和 39年頃からこの町 [平取町] に施設 [ハヨピラ] ができているが‥‥‥。
‥‥‥
p.173
どうしょうもないんだ。
いくらね、アイヌの神を侮蔑した、根拠がないんだ、と叫んでみても、あれだけ多勢のアイヌが参加していてはね、‥‥‥
しかもいい、そのどうしょうもない状態がね、年々エスカレートしていく。
p.174
あれ以来、いろいろなアイヌ人に訴えかけたし、また訴えかけようとする。
この町には立派なアイヌ系の人が多くいるからね。
ところが誰一人としてそれを問題視しようとはしない。
かえって、逆に「お前の考えは頑なだ」と嘲笑される。
「いいではないか、年に一度のお祭だし、向うで金はくれるし、飲ませてくれるし、食わせてくれる──」
‥‥‥
今年あたりはね、祭典余興として熊祭までも挙行している。
しかもだ、円盤関係者と地元ウタリー協会が主催。
町と町観光協会が共催。
協賛が、航空会社から化粧、飲料品など各一流のメーカーとくれば、どこに個人の異論を挟む余地がありますね。
p.174
金を貰って、飲ませてくれて、食わせてくれる。
ね、そのうえ熊祭をさせてもらえる。
蛮性アイヌの利用価値だ!──。
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pp.170
★ 私たちの職場に、アイヌ語や唄を教えに来ているんだ、ときどき──。
あのお婆ちゃんは、十八歳になるまで日本語もしゃべれなかった、って一言っていたよ。
☆ え!? ──
★ 違うの?
p.176
☆ 先ほど、あんたが名指したお婆ちゃん、歌を教えてくれたとか‥‥‥。
今、T市のある病院で身寄りのないような状態で寝たきりなんだ。
このお婆ちゃん、ユーカラ伝誦者としては第一人者だと言われている。
確かにそれだけの価値はあるだろう。
昨年 (昭和四十四年) は、道の文化賞かなんか貰ったようだ。
pp.183,184
☆で、その観光ということで、また、あの入院しているユーカラ伝誦のお婆ちゃんの話に戻るが、この管内で観光に依存している人は,多く見積もっても 8074名いるというアイヌ全体のうち,1%もいればせいぜいだと思う。
全道にしたって、実際のアイヌは、二、三百人ぐらいだろう。
つまり、あのお婆ちゃんも、病院暮しをする前は、そのうちの一人だった。
このお婆ちゃんは、確かに頭はいいし、色白で美人、そのうえ美声の持主というスターになる要素を多分に持ち合わせている。
それだけに、病院にはいってからも、アイヌ研究者がひきもきらずに訪れたりする。
ね、けれども、さっき、18歳まで日本語もしゃべれなかった、などと、だんだん本質的なものを失ってしまっているんだ。
いくらか名が知れ渡ると、とにかくいろんな者が訪れてくる。
アイヌ語、あるいは風俗、あるいは歴史、ね、そういった人たちから、同じような質問を、尋問的な形で受ける──。
するとアイヌ文化は伝承文化だから、語り継がれる、すなわち、純粋な知識の吸収もなく、今日的な時限で自分だけの記憶の糸をたぐり寄せる。
というあたりから、フィクションが多分に加味されるわけだ。
と言うのもね、僕の家の近くに、このお婆ちゃんよりお年が上の、つまり、さっきXXX先生が来たとき、もう一人の老婆がくるったろう。
まったく観光ずれのしていないお婆さんがいる。
そのお婆さんに、ユーカラ伝誦の第一人者というお婆ちゃんのユーカラを聞かすと、?‥‥‥と、首をかしげる。
そのXXX先生と三人で話をしていたのを耳にしたが、やっぱり、素朴なままの山の中に住んでいるお婆さんのほうが、いろいろな面でアイヌ文化の純粋さを持っているようだった。
ね、でも、それを僕は全面的に否定しようというのではない。──
あのお婆ちゃんが生まれたのは明治二十七年だという。
ところが、明治三十六年に、あのお婆ちゃんの生まれたH部落に、アイヌを対象とした四年課程の<土人特殊学校>が建っているんだ。
だからね、お婆ちゃんも当然にひらがなだけは読めるし書けるわけだ。
日本語どころじゃなくね──。
‥‥‥
でもさ、あのお婆ちゃんも、よくあの施設 [ハヨピラ] に招かれていたし、ま、いろいろ人に訊ねられたりすると、つい関連付けちまうようになるんじゃないかな。
と言うことは、先にも言ったが、昔話を語り伝えるお年寄りがまったくいなくなった現状だろう。
そこで観光と結び付いた形の伝承とくれば、このお婆ちゃんにかぎらず、観光というものは、相手にとっちゃ、いわば商品だからね、その商品価値を、相手に迎合されるような形に誇大しちまうんだ。
それがいわゆる、観光アイヌであり、アイヌということを口にする、現代アイヌの状態であるということ──。
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pp.184,185
僕は、過去三年間、調査とまではいかないが、道南を中心にしたA湖畔、B温泉、Cアイヌ部落と足を運んでみた。
その結果ね、この現状では、やがて観光アイヌというものも和人に凌駕されてしまうな、という気を強くした。
なぜね、"人聞のオリ" などという奇妙な施設のある熊牧場に、アイヌ村が必要なのかね。
‥‥‥
それとA湖畔では、言語や動作に、明らかにアル中症状を現わしているような男が酋長格で控えていたり。
また、五十四、五歳の男が、観光団に何かを訊かれると空っとぼけていて、カメラを向けられると、チャッカリ、モデル代を要求する (Cアイヌ部落)──ね。
それと、漫談調で「俺の腕毛を一本十円で売ってやる」と、ガメツそうな年若い解説者もいたしね (Cアイヌ部落) ──。
僕のおふくろね、一度だけA湖畔の見世物小屋に駆り出されたことがあるんだ。
そのとき、一緒に行った人たちが "豊年踊り" とかいって奇妙な踊りを始めたそうだ。
怪訝に思ったおふくろはね、「どこにこのような踊りがあるんだ?」とたずねた。
ね、すると、「エバタイシサンアトヘマンタエラマンワ、オカンキロアキロ (馬鹿な和人たち、何かわかるものでもあるまいに、適当にやりゃいい) ──と、連れていってくれた、専業の人に言われたという──。
万事この調子じゃね、アイヌ模様の着物さえ着りゃ誰だっていいってことだ。
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pp.187,188
で、そういったことでさ、この町 [平取町] 内のとある地区 [二風谷] がね、今、着々とそのアイヌ観光地として売り出そうとしているんだ。
なんかね、とうとう──来るべきところまで来たっていう感じなんだ。
昭和三十五年に、そのいわゆる "旧土人環境改善策" なるものを打ち出さなければならないんだ、という、不良環境のモデル地区、ね、写真入りで新聞に報道されたりした地域だ。──
最近では、公営住宅や、またそれぞれの努力などで、十年前の家庭はほとんど姿を消してしまった。
が、その生まれ変わったはずの聚落が、今度は俗悪なアイヌ部落の亜流化をくみとろうとしている!──。
なぜ、景勝や古蹟の乏しい山林に、こういった特殊施設を、アイヌ自ら、しかも今日の時点において作ろうとするのかね──。
そのことを彼たちに質すと、「アイヌがやらなければ、悪質なシャモ (和人) が勝手にアイヌの名をかたり、金儲けをするから」と言う。
「じゃ、そういう悪質シャモの排除にこそ努めるべきでないか?」ときくと、「われわれも、そのことで潤っている」──。
つまり、観光のおかげで部落もよくなり、業者からピアノも贈られた (小学校)。
何十万とかの寄付もあった──と、並ベたてられる。
「今それをやめろというのなら、じゃわれわれの生活をどう保障する」と逆襲さえしてくる始末。
そして、ね、これまで自分たちは観光業者に利用されて各観光地に立っていた。
だから、どうせやるんなら、そんな他所の土地で、シャモに利用されるんでなく、自分たちの部落でやったほうがいいのだ──という割切り方。
しかもだよ、ジョークなのか、アレゴリーなのか、昔はアイヌといって、われわれはバカにされた。
今度はひとつ、われわれアイヌを見にくるシャモどもをふんだまかして、うんと金をまきあげてやる。
「なあに、適当なことをやって見せれば、喜んで金を置いていくからな」‥‥‥。
ね、ドライというか、くそくらえバイタリティというか、とにかく、見上げたショーマンイズム──。
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pp.189, 190
少しは地域を歩き、一般住民の声にも耳を傾けるべきだ。
○ 昔はのう、わしらが働いとるとき、アイヌさんはよう焼酎壜を枕に、道路に寝とったもんだ。
それがのう、今では踊って暮せるちゅうから、ええもんじゃ──。
(七十二歳・農業)
○ 教室の中では、差別的な教育は一切していない。
それなのに、教室から一歩外に出ると、もう口も開けないような雰囲気を何故に作るんだ──。
(三十九歳・教員)。
○ 果して、真のアイヌ文化なり、民族なりというものを、理解してもらうためにやっているのか、どうかという疑問にぶつかる。
そもそもああいうあたりからも、問題点が出てくるような気がする。
アイヌだとか、和人だとかいうことなしに、お互いに生きようと努力している。
それだけに、アイヌという人たちにも考えてもらいたいと思う。
(三十五歳・農業)
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p.190
某地にある資料館に行って一日立って見るといいい。
はたしてね、あのおびただしい観光団のうち何%があの展示物に目を留めるか──だ。
バカなシャモどもをふんだまかす、などといっていて、ここ五年や十年は、アイヌという貧相さを売物にした形の何か真似事はできるだろう。
まだ、明治時代の人々も生き残っているから‥‥。
でも、そこから先ね、「アイヌ語もわかりません」などと言っていて、どう観光というもののうえに、真のアイヌを描こうとするのか──。
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p.207
とにかく、全道のアイヌと熊、このイメージ化は、あまりにもひどすぎる。
温泉地へ行ってもアイヌ──。
湖水を訪れてもアイヌ、ね。
はなはだしいのは、一ホテル (G地) の前にもアイヌ小屋だ。
そういう所へ、「何もわからなくてもいい。ただ坐っていりゃいいんだ──」と、アイヌたちが募集されて行く──。
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