Up | 北海道史の改竄 | 作成: 2017-01-26 更新: 2017-01-26 |
「アイヌは過去のもの」に対し「アイヌはいまのもの」を立て,「アイヌ」を演じることを生計 (の足し) にしようとする。 しかし,「観光アイヌ」は既に無理である。 「アイヌ観光」は,本物のアイヌがここにいるとひとに思わせることができて,成り立つ。 そうでないことがひとにわかってしまうとき,「アイヌ観光」は「アイヌ」ショーとして集客するものになる。 しかし,娯楽の乏しかった昔とは違い,いまの時代「アイヌ」ショーに集客力は見込めない。 この先「アイヌ」を生業にする形は? ここで,「アイヌ特権」が出てくる。 保護派"アイヌ" は,「アイヌ特権」を求める者になる。 保護派"アイヌ" は,つぎの二つを「アイヌ特権」として立てる: 生活の困難は,和人にもある。 そこで,「アイヌの生活の困難は,和人の生活の困難とは意味が違う」の論を立てねばならない。 こうしてつくられたのが,「アイヌモシリ」論──「年貢」論──である:
文化継承は,和人もやっている。 そこで,「アイヌの文化継承は,和人の文化継承とは意味が違う」の論を立てねばならない。 こうしてつくられたのが,「エスノサイド」論である:
「アイヌモシリ」論,「エスノサイド」論は,ともに虚偽である。 保護派"アイヌ" は,北海道史をこの虚偽のものに変えていく者になる。 いま,アイヌ,"アイヌ" に無知な者は,保護派"アイヌ" が唱える歴史を真に受ける。 少なくとも,アイヌ系統者に共通の歴史観だと思う。 保護派"アイヌ" は,つぎの二つをやってのけたわけである: ただしこれは,保護派"アイヌ" を利用してこれをやろうとした者のやったことである。 その者は,だれか。 それは,いわば<左翼な時勢>といったものである。 1970年前後の新左翼ムーブメント,それと同時期の革新首長ブーム──これが無かったら,保護派"アイヌ" のいまの形は無かったのである。 保護派"アイヌ" は変なものであるが,歴史は「歴史のいたずら」として,変なものを主流にしてしまうものなのである。 <左翼>は,「目的のためには手段を選ばす」がスタンスになる。 「アイヌ特権」実現に勝利するためには,プロパガンダするところの「アイヌモシリ」「エスノサイド」を,内容が強烈なものにしなければならない。 <左翼>のプロパガンダは,《聴く者に義憤をもよおさせる》である。 そこで,《「悪が善を虐げる」のストーリーで,残酷シーンを繰り広げる》が,<左翼>の手法になる。 「悪が善を虐げる」ストーリーは,無理矢理のものになるが,これは「目的のためには手段を選ばす」で合理化される。 また,無知な者相手のプロパガンダは,「悪が善を虐げる」ストーリーがいちばんであることを,<左翼な者>はよく知っている。 この歴史改竄の功労者は,政治家では,横路孝弘を挙げることになる。 近現代では,ジャーナリストが,歴史改竄で主要な役割を務める。 「朝日新聞」がよくやり玉に挙げられるが,保護派"アイヌ" の歴史改竄の場合だと,朝日新聞の本多勝一や北海道新聞の山川力を,功労者に挙げることになる。 歴史の改竄には,いつも「御用学者」や「アタマの悪い学者」がいる。 保護派"アイヌ" の歴史改竄の場合では,「御用学者」というほどの者はいなくて,みな「アタマの悪い学者」である。
なぜなら,「学者」は,「アタマの悪い学生」からスタートし,経験を積んで成長するものだからである。 「アタマが悪い」は,悪口ではなく,事実である。 保護派"アイヌ" は変なものであるが,学術の分野でも,<左翼な時勢>で生じた変なものが以後主流になり,変なことがわかっても惰性から抜け出せないということがある。 |