Up | 漁猟採集自給自足生活者 :「土人」 | 作成: 2016-12-25 更新: 2016-12-25 |
「未開人」ではない。 一般に,現前の生物は,「開く」への途上であるわけでない。 いまの商品経済社会にしても,偶然が重なった結果である。 「野蛮人」ではない。 このことばは,狩猟/漁採集の生き方が含蓄する知性・理性のすごさを見ていない 「野生人」「自然人」ではない。 このときの「野・自然」の意味は,「所与 (given)」である。 だれもが「野生人」「自然人」である。 「先住民」ではない。 どの種も,生態系の遷移の中で途中から出てきたものである。 その種の出現によって,追い出されたり衰滅した先住種がある。 「現地人」ではない。 実際,だれもが「現地人」である。 現代人と漁猟採集自給自足生活者の対比では,何が対比されるのか。 生業の形の対比──「会社勤め-対-狩猟/漁採集」──が立つ。 しかし,もっと本質的なレベルでの対比がある。 それは,動物と植物の対比に似ている。 この対比での植物の意味は,「独立栄養生物」である。 実際,現代人が漁猟採集生活者に見るものは,「自給自足」である。 それは,現代人がやれないものだからである。 漁猟採集生活者を呼ぶことばは,「自給自足する者」を表すことばである。 本論考は,植物の「独立栄養生物」の面を捉えることばを,これに流用する。 そのことばは,「土に根を下ろす者」である。 この意味で,「土人」──「土に根を下ろす人」──のことばを用いる。 実際,「土人」よりふさわしいことばはない。 「土人」ほど,リスペクトの気持ちを含ませられることばはない。 「土人」の語を導入したとき,「土人」は漁猟採集生活者に限る必要はない。 「土人」は,漁猟採集生活者を一般化する概念であると同時に,漁猟採集生活者の本質に眼を向けさせることばである。 ここに,「土人学」が可能になる。 |