Up 「土人学」: 要旨 作成: 2018-11-26
更新: 2018-11-26


    ひとは,商品経済の系に棲む。
    自分を労働力商品になすことを含めて,<商い>を生業とする。
    ひとは,「商人」として生きている。

    「商人」という生き方は,ヒトという生物種に独特なものである。
    しかも,ヒト種の歴史の中では,たったいま現れたものである。
    これ以前のヒトの生き方を,「商人」に対立させて何と呼ぼう。
    「土人」が,最も適っている。


    「土人」を,差別語だと思っている者がいる。
    実際,ひとの圧倒的多数が,これである。
    なぜか。

    ひとは,絶対真・絶対善でありたい。
    己を相対化する存在に対しては,己を否定する存在として,これを嫌う。
    ひとは「商人」である。
    よって,「土人」を卑しい存在様式として斥ける。
    かくして,ある生き方を「土人」と特徴づけることは,彼らにおいては差別行為ということになる。

    よくよく吟味せよ:
      <差別反対を唱える者が最も差別主義者であるという逆説>


    "アイヌ" イデオロギーの者──"アイヌ"民族派──は,この類である。
    彼らは,アイヌに対する「土人」の特徴づけを,「人種差別」として非難する。
    彼らがよしとする特徴づけは,「先住」である。

    アイヌの特徴づけ──アイヌの本質──は,先住性ではない。
    土人性である。

    アイヌに対する「土人」の特徴づけは,アイヌをリスペクトするものである。
    アイヌに対するリスペクトの形は,「土人」である。
    逆に,アイヌを「先住」で特徴づけようとするのは,物事をつねに「所有」で考える「商人」根性である。


    この時代に「アイヌ」を自称する者は,「アイヌ」として自分を売り込むことをしている者である。
    彼らは「商人」である。
    彼らにとって,アイヌに対する「土人」の特徴づけは都合の悪いものになる。
    この特徴づけにおいて,彼らは「アイヌを(かた)る者──インチキアイヌ」ということになるからである。

    商品経済では,商いに貴賤はない。
    <「アイヌ」として自分を売り込む>が商いになるなら,これも立派な商いである。
    "アイヌ"民族派のよからぬ点は,己の存在の不都合になることをみな「差別」にしてしまうことである。
    そして,言葉狩りにやっきになる。
    ──このとき「土人」は真っ先に狩らねばならないことばである。


    アイヌ学は,背景に以上のことがある「土人学」として立てるものになる。
    ──「土人」を「商人」の双対概念として。

    ここで注意すべきは,土人性は孤絶性とは違うということである。
    アイヌの生活は,生活必需品において和人に依存している部分がある。
    このことは,アイヌの土人性を否定しない。

      アイヌと和人の物交換は,アイヌが商人になることではない。
      アイヌは,土人のままである。
      一般に,「物交換」は「商人」の概念を含む必要はない。
      例えば,友達間で好みの違いを理由に食べ物を交換するとき,互いが商人になっているわけではない。