Up | 『アイヌ学 (学問) へ』: はじめに | 作成: 2017-02-22 更新: 2017-02-22 |
ここで戸塚美波子は,アイヌを,絵や写真で紹介される「いかにもアイヌ」の姿格好でイメージしている。 そして,出遭いの場を,北海道に想っている。 しかし,「いかにもアイヌ」の姿格好は,鉄器文化のものである。 実際,アイヌの工作は,鉄の刃物や針が道具である。 木が生活の用途になるのも,チセであれイナウであれ,鉄の刃物があってこそである。 「いかにもアイヌ」の衣食住,その生業である漁猟採集は,鉄器依存である。 そこで,問題。 「アイヌは,その鉄器をどうして持てているのでしょう?」 というのも,アイヌは,自分では鉄器を実現する技術をもたないからである。 ここで「交易」を言い出すと,「鶏が先か卵が先か」の話になる。 船の工作には,鉄の刃物が要るからである。 では,「海の向こうから鉄器を持ってきた者がいた」が最初? しかしこのときは,上に述べたように,この者と遭遇する現地人は「いかにもアイヌ」ではない。 石器時代人の姿格好でなければならない。 即ち,いかにもアイヌ」が初めて和人と遭遇するという絵は,それが和人ではなく他の外地人であっても,成立しないわけである。 戸塚美波子の思い描いている絵は,間違いである。 もっとも,この間違った絵を持っているのは,「アイヌ学者」も同様である。 アイヌの鉄器所有は,《石器文化が鉄器文化と接触》のステージに溯行する。 このステージには,「いかにもアイヌ」はいない。 そして,「石器文化と鉄器文化の界面」についての歴史学の知見は,これが本州から北海道へと北上していったというものである。 「いかにもアイヌ」は,この界面のところで形成されていく。 「いかにもアイヌ」は,界面の北上の過程で形成されていく。 こういうわけで,「いかにもアイヌ」が初めて和人と遭遇するという事態は,存在しない。 繰り返すが,《「いかにもアイヌ」が初めて和人と遭遇する》の絵は,フィクションである。 「いかにもアイヌ」は,これの成立の契機として<鉄器>がある。 ここで,鉄器をもたらしているのは,和人である。 よって,「いかにもアイヌ」は,これの成立の契機として<和人>がある。 まとめよう。 「いかにもアイヌ」は,<和人>がこれの構成要素になっている。 「いかにもアイヌ」は,和人依存である。 和人依存の前の形は,石器文化人であり,それは「いかにもアイヌ」ではない。 即ち,アイヌは,最初から和人依存である。 戸塚美波子の上の詩は,つぎのように終わっている:
この「アイヌ」「人間」は,石器時代人である。 「アイヌモシリ」プロパガンダが,喧しい。 これは,ユートピア幻想である。 この幻想は,《「いかにもアイヌ」は,和人依存》を思考停止している様である。 「アイヌモシリ」プロパガンダが喧しいのは,何を言ってもだいじょうぶ状態だからである。 チェックされる心配がないからである。 チェックする役はアイヌ学であるが,これは壊れて久しい。 イデオロギーで,グチャグチャにされてしまったのである。 「アイヌ学者」でチェック機能を果たせるような者は,いない。 |