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吉田常吉 (1962), pp.297-288
幕府は寛政十一年(1799) に東蝦夷地を松前氏から上知し、さらに文化四年(1807) には西蝦夷地をも上知した。
もともことの上知は、ロシア勢力の南下という外寇に対する防備のためにとった措置であった。
‥‥ 蝦夷地は天険が多く、交通が不便で、海岸に沿うて船を進めようとすれば、風浪に阻まれてむなしく逗留せねばならない。
もし一朝事ある時に、急を報ずることは容易でなかった。
それで幕府が蝦夷地を直轄すると、まず道路の開鑿を以て急務の一つとしたのである。
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引用文献
- 吉田常吉 (1962) :「蝦夷地の歴史」
- 吉田常吉[編], 松浦武四郎『新版 蝦夷日誌(下), 時事通信社, 1962, pp.279-306.
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