一 |
天保十年(1839) 以前喜兵衛が請負っていた時には、根室勤番の者上下合せて十名あり、その賄料及び役儀としての入用 (例えば祭日の振舞酒、オムシャの際蝦夷に与える品代等) 並びに支配人・通詞等の上下の際や折々の献上物など合せて金四百両余の外に、品物として椎茸三千三百粒、雑油五挺、塩鱒二百二十五本、塩鮭百五十五本、筋子 (鮭の卵) 十樽余、寒干鮭百二十五本を要した。
ところが、その後勤番人数は増されて十九人になり、一人当りの入用もふえて、その費用は八百二十六両の外に椎茸六千百粒位、雑油九挺余、塩鱒四百本、塩鮭ニ百八十五本、筋子十九樽、寒干鮭二百五本と増加している。
今後はせめて勤番一人当りの入費を天保十年の昔に返したいこと。
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二 |
毎年秋味を積んで江戸に上る船に勤番の者が色々な品物を注文する仕来りであったが、これは間違いが出来、損をするので、止めてもらいたいこと。
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三 |
ネモロ勤番入用の品は定値段で会所から納めていたが、物価が高くなって間に合わないので、前年買入値段で買ってもらいたいこと。
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四 |
国後場所は蝦夷がすくなく、思う通りの漁事すら出来かねるので、蝦夷は余程の時でないと使わないようにしたい。
そこで従来は頭から足軽まで勤番一人毎に蝦夷人一人を小間使につけたが、今後は台所一ケ所に炊事のため一人、足軽には三人に付一人の割にしたいこと、かつ勝手に細工物等に使わないこと。
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五 |
擇捉島には勤番が毎年五十人宛三番に別れて行くが、国後島への渡り口であるネモロの野付に着くと、その度毎に国後へ渡し、そこから又船で海岸沿いに擇捉島に送る。
そのために
根室では、船六艘、水主番人十三人、蝦夷人六十人、
国後では、船四艘、和人二十人、蝦夷人四十人
を要する外、
沿岸五ケ所の宿泊所に、和人二人、蝦夷人二人ずつを配置せねばならなぃ。
そこで、野付から擇捉へ弁財船で直航させたい。
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