アイヌの零落の内容は,<商品経済に取り込まれる>である。
そして,<商品経済に取り込まれる>のうちに,<使役──虐待に及ぶ使役──によって消耗する>が含まれる。
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松浦武四郎 (1857-1860), pp.736,737
シマコマキ (現島牧郡島牧村) といへる場所は ‥‥
天明 [1781-1789]の前は人家五十餘軒ありて凡そ人口も二百人に満へかりける由なるが、 ‥‥
‥‥ 奸商の手に所置任し有しかば、人口も日々に減じ、
文政の五とし 壬午 の御引わたしの頃は大に減員して、漸々三十三軒とかに相成、人口も百二十八人まで減じなし、
それにて御渡し有しが、其よりも又度々請負る商人も革りて少しも土人等の安堵なす暇もなく過行しが、今度は私領より請負に人家十軒にして人数三十九人ならでなし。
其三十九人といへども、内二十六人は男にして女は僅に十三人の由。
其十三人の内又中年にして孕もやせんと思しきものはまた六人ならでなく、
其六人も其内一人はクドウ (久遠郡久遠) の帳面の者とかや。
其残る五人のうち三人は,山崎屋何某といへる者此地を請負致し居たりし時、支配人の市三郎といへる者此場所に女の子どもの不足なることを深く患ひて、東地なるモロランまたはホロベツ等いへる地に行て若干の寶物を遣して三人のめの子を買もとめ来り、未だ娶らさるものゝ年長なるに娶はせ遣したりと。
其にて漸々の事にて四、五人の子供等も出来、子孫も絶ざる様にぞなり侍りしが、
然るにまた其請負人もいつか他の人になりしや聊か夫等の情實を不レ辨して、晝る夜るの差別もなく責め遣はるゝが故に、
家に残し置く子供やまた老人等は如何にも難渋し侍り、薪取暇も無か故に、三冬 [孟冬・仲冬・季冬 (陰暦十・十一・十二月)] といへとも凍る斗の事共多く、よって春過ぐる頃になるや多くは病に罹りて死するが故に、子供といへるもの甚育ち難しとかや。
かゝることを脇乙名なる者リクニンリキ 人名 四十一歳 は深く歎じて、衆の為を支配人または通辭等へ幾度となく願出て、
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今三人斗も他所よりめの子を買ひ取り来り,孤獨の者へ娶はせ呉られよ
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と歎き頼むといへども、支配人も通辭等も聊か聞入れずして、此者が再三此儀を申募りしを大に怒りて、捕らへて荒縄もて禁しめ、庖厨の梁に釣し上げ、辛き目見せしとかや。
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ちなみに,性悪論者は,ここに二つの<性悪>を挙げることになる。
アイヌを直接虐使する<性悪>と,それを放置する<性悪>である。
商品経済では,この<性悪>は,<役回り>というものなる。
酷いことは,人品の性悪がこれをさせるのではなく,役回りがこれをさせる。
同じ役回りに就いた者は,(和人であれアイヌであれ) 同じことをする。
「酷い」を言うためには,外部者でなければならない。
(a) 虐使する役回り
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松浦武四郎 (1857-1860), p.752
何處の場所にても、役土人といへるものは支配人通辭、番人等と心易くして支配人、通辭等も我が威権に及び難く服せざることは其乙名、小仲等いへる役土人をすかし偽り申て取拵はすが、何れの場所にても是が習はしと成居る。
また支配人は兎角役土人を手馴け置けるに随ひ、其役土人は己が口の為に衆夷を苦しめ迷惑することのみを支配人より言附られては致しけるものなりける‥‥
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(2) 虐使を放置する役回り
「歎き頼むといへども、支配人も通辭等も聊か聞入れず‥‥」は,いまの時代も変わらない。
人は,トップダウンヒエラルキーの中の中間職として位置づく。
中間職は,自分の直接上と直接下だけを見ることを己の分とし,分を越えることをしない。
これが,ヒエラルキー組織の安定均衡相だからである。
中間職の「事なかれ主義」,そしてこれがもとの「たらい回し」には,系力学的根拠がある。
引用文献
- 松浦武四郎 (1857-1860) :『近世蝦夷人物誌』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.731-813
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