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土地柄
作成: 2019-02-26
更新: 2019-02-26
高倉新一郎 (1969), p.45
東蝦夷地は西蝦夷地よりも開発が遅れていた。
産物が比較的乏しかった外に、夏は濃霧、冬は荒波で航海が不安な上、良港に之しかったからである。
だから寛政十一 (一七九九) 年幕府が直轄するまでは、ただ要所要所に粗末な運上屋があり、漁期だけ少数の和人が来航し、冬になると帰ってしまって、後は蝦夷人だけの世界に戻ってしまう未開の天地だった。
引用文献
高倉新一郎 (1969) :『日本庶民生活史料集成 第4巻』(探検・紀行・地誌. 北辺篇), 三一書房, 1969