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高倉新一郎 (1959), pp.73,74
蝦夷を使うことが多くなると、場所請負人が場所に派遣する者の人数も増加して行った。
最初は、請負人の代理で場所の交易や漁業を総括する支配人の外に、蝦夷と和人との間をとりもつ通詞、書記役である帳役等が交易船に乗って現地に行き、事業に当ったが、
後にはそれ等を補助し、蝦夷を監督使役する番人という役が多くなって行ったようである。
通詞はアイヌ語に通じ、蝦夷地の事情に詳しい、場所経営の中心をなすもので、主として松前城下から雇われたが、
その他の者は出稼人ではあるが、年々同じ請負人に雇われる常雇で、蝦夷地の事情に通ずるに従って番人から帳役・通詞・支配人と上って行くものが多かった。
なお番人の下で、蝦夷の出来ない仕事に従事する働方と称する臨時雇があった。
これらの人々は、蝦夷地の請負場所に設けられた交易所すなわち運上屋に寝泊し、蝦夷のもたらす産物を交換し、それを荷造りすると、冬にならない内に船に積み込み、場所を引上げた。
積荷の残りがあれば、鍵を乙名にあずけて空家にするのが常だった。
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番人 (北海道大学北方資料データベース, レコード ID 0D023550000000006)
引用文献
- 高倉新一郎 (1959) :『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959
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