Up アニミズム (八百万の神) は商品経済で死ぬ 作成: 2018-12-13
更新: 2018-12-13


    アイヌ文化は,アニミズムが根底である。

    一つの事物も,それが表す貌は同じでない。
    吉(善)と出たり凶(悪)と出たりする。
    この吉凶・善悪の説明概念として神を立てるのが,アニミズムである。

    アニミズムは,事物ごとに神を立てることになる。
    アニミズムの神は,「八百万の神」になる。


    八百万の神は,商品経済で死ぬ。
    商品経済では,吉凶・善悪の概念が()たなくなるのである。

    例えば,減反政策によって,収穫前の稲を潰し賠償金を受け取る。
    これが米作の生業の中に含まれてくるとき,《豊作を神に感謝する》は成り立たないものになる。
    コンビニは,「賞味期限」を過ぎた弁当を廃棄処分にする。
    これが,食物の扱い方になるとき,食べ物への感謝──食べ物を与えてくれた神への感謝──は成り立たないものになる。
    一般に,物流社会──交換価値が価値になる社会──に事物の神は立たない道理である。

    ロジックが無理となったものは,自ずと消えていく。
    しかし,それだけではない。
    神を立てれば,商品経済の生業・生活は<罰当たり>だらけになる。 自分を<罰当たり>にしないために,ひとは自ら神を無くしていく。


    「アイヌの終焉」の内容は,「アイヌの神──八百万の神──が商品経済に曝されて死ぬ」である。
      砂沢クラ (1983), pp.28,29
     私たち近文のアイヌが住みなれた土地と家を追われ、荒れ地の中に和人が建てたマサ小屋に移り住んだ年 (明治四十年) の秋のことです。
     祖父のモノクテエカシの妹、ニィトマフチがエカシの身を案じて、ハママスケ (浜益) から歩いてやってきました。 フチは「兄のことが気になって夜も眠れない。汽車に乗る金がないので歩いてきた」と泣きながら言うのです。
     何日かたって、ニィトマフチはトゥス (予言) をしながら、こう言いました。
    「兄さんが住んでいた古い家にあったイナウサン (祭壇) には六十頭のクマの頭の骨が祭ってあった。それを和人たちが古川に捨て、土を盛り、道路にして踏んでいるので神が怒っている。イナウ (ご幣) を六十本作って神におわぴをしないと、ひどいことが起きる」
     ニィトマフチは祖父に、母も父に「イナウを作って神に祈って」と何度も何度も頼んだのですが、祖父も父も「神の怒りは和人にかかる」と言って取り合わず、一本のイナウも作りませんでした。
    いままで、ずっと神を信じ、神をうやまってきた祖父や父なのに。
    和人に土地を奪われ、組末なマサ小屋に住まわされることになって、もう神に祈る気持ちになどなれなかったのかもしれません。

    一方,ひとは,アイヌは同化政策によって終焉したと思っている。
    これは,"アイヌ民族"イデオロギーのキャンペーンが功を奏したということである。

    "アイヌ民族"イデオロギーは,欺瞞である。
    実際,つぎのように言っていることになるからである:
      「アイヌは,終焉せずに済んだ」
      「アイヌを続けていられることがよい」

    同化政策は,終焉するアイヌを,この先生きていかれるようにしようという政策である。
    「終焉」と「同化」の順序をくれぐれも間違わないように。


  • 引用文献
    • 砂沢クラ, 『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983