|
高倉新一郎 (1974 ), p.82
腹をさいて丸干しにしたものをカラサケ (から鮭) といい、種々のものと交換され古くから北陸地方の庶民の食料に移出され、蝦夷地の名産の一つだった。
そのうち商人は塩を持参し、アイヌから生鮭を買い、腸を取って塩切りにし、秋味と呼んで大量に移出し、さらに荒巻きと呼んで薄塩ものを菰包みにして出荷した。
塩鮭は本州庶民にとって欠くことができない重要品になった。
そのために商人はアイヌが在来の方法でとる鮭の量では満足せず、引き網を使って大量に漁獲しはじめたので、アイヌはその使用人にすぎなくなった。
|
|
|
吉田常吉 (1962), pp.293,294
こうして働き場所ができると、蝦夷は従来の山城を中心として作っていた独自の村落を捨てて、海岸の便利な場所に集まってきた。
蝦夷地に点在する要地に建てられた運上屋を中心に形作られた和人の勢力範囲は、海岸に沿って次第に数を増していき、やがて蝦夷地全体を取巻いていく態勢を示した。
請負人は蝦夷との交易だけでなく、蝦夷地の産物を増加させようと、蝦夷に漁法を教え、或は蝦夷を使役して漁業を営み、後には和人を交えて漁業に従事するようになると、
初めそれほど厳密でなかった場所の境界は次第に固定され、請負人はその範囲内の交易権だけではなく、産業権や蝦夷の使役権などまでも掌握していって、後にはその独占的支配権を委任されるに至るのであった。
|
|
アイヌの出稼労働の意義は,アイヌが商品経済に取り込まれていくということである。
そしてこのことで,彼らは自分たちの神々を失っていく。
なぜか。
彼らの神は,事物にそれ固有の意味を与える神である。
それは,「八百万の神」になる。
商品経済では,事物の意味は交換価値である。
事物の交換価値化は,事物の意味の一様化である。
ここに,「八百万の神」は死ぬ。
引用文献
- 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
- 吉田常吉 (1962) :
吉田常吉[編], 松浦武四郎『新版 蝦夷日誌(上), 時事通信社, 1962
|