|
高倉新一郎 (1959 ), pp.207,208
[開拓使は,] 山林原野は官用地並びに従前民間で拝借使用中の土地を除いては全部民間希望者に売払うことにした。
その際、土人が漁猟や伐木してきた土地に対しては、土人の使用は従来の慣行によるもので、拝借使用してきたのではなかったので、山林原野に加えられ、処分されることになった。
そして開拓使は、これらの土地に向って移民を送り開拓を推進したのであった。
従来、主として漁業に従事し、場所請負制度によって妨げられ、主として海岸に留っていた和人の勢力は、たちまち、内陸に向って拡って行った。
そこではまだ帰俗しない土人が、時々海岸に出て運上屋で働き、冬期に部落に出張して軽物を蒐めるためにできた番屋で塩・煙草その他を交易するに過ぎない生活を続けていた。
それは最後の蝦夷地だった。
その最後の蝦夷地が、明治以後のはなばなしい開拓の歴史と共に滅びて行くのである。
蝦夷地を改めて北海道としたことは、蝦夷弛の歴史に最後のとどめを指したものであった。
|
|
引用文献
- 高倉新一郎 (1959 ) : 『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959
|