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高倉新一郎 (1959), pp.57,58
蝦有交易の実務が商人の手に移り、場所請負制度が一般的になったことは、蝦夷地の産業を著しく伸展させ、蝦夷地と本州との関係を一層密接にし、蝦夷地の様相を一変させることになった。
‥‥
蝦夷地の産物は著しくその種類を増した。
享保二年(1717)「松前蝦夷記」によれば、寛文年間よりは、
煎海鼠・菊とじ鮫・干鮫・推茸・魚油
などが増加し、さらに後世になると、これに
カスベ [エイ]・鰤・ホッケ・新鱈・布海苔・アッシ・キナ蓆
等が加わっている。
種類のふえたのは、海流の変化などで今迄とれなかったものがとれ出したものもあったかも知れないが、従来ほとんど土人の飯料にだけとられていたものが商品化して集められるようになった外、漁猟法や製造法の改良によって新たに産物になったものもすくなくなかった。
アッシ・キナなどは、アイヌの手工品であったものを、商人が買上げることによって生産が増して商品になったもの、
鮫・鰤・カスベ・ホッケ・椎茸等も、もともと地方のアイヌが食料にしていたものかも知れないが、商人が買入れることによって産額を増すに至ったのである。
煎海鼠・干貝・昆布・布海苔などは、松前及びその付近で産していたものが、次第に蝦夷地に拡がったものであった。
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吉田常吉 (1962), pp.286-288
‥‥ [後幕領時代 (1855 -1868)]
漁業の発達は自覚ましく、鰊漁は大網を許可したので産額を増加し、また昆布業も箱館開港による販路の拡張で活況を呈した。
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引用文献
- 高倉新一郎 (1959) :『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959
- 吉田常吉 (1962) :「蝦夷地の歴史」
- 吉田常吉[編], 松浦武四郎『新版 蝦夷日誌(下), 時事通信社, 1962, pp.279-306.
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