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平秩東作 (1783), pp.432,433
是にて耕作人のなきは、漁利の多き事人の肺腑にしみ込で、永久の利をしらざるなり。
耕作を勤るもの多くば、今年のごとき餓死に及ぶ事はあるまじきなり。
今も江差より三、四里西南の方にアツサフといふ村あり。
川に添てひろき在所なり。
鮭の獵はすれ共、農事をよく勤る故、産業ゆたかにて、今は農家千軒ほどあり。
過半は南部山家の貧なる百姓移り来て住居す。
濱邊の人のごとく金銭澤山につかひすつる事あたはずといへども、妻子を養ふて飢寒の患をしらず。
此例をもって農戸、漁戸をわかち、上にたつ人よく教へさとさば、國益多かるべし。
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引用文献
- 平秩東作 (1783) :『東遊記』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻』(探検・紀行・地誌. 北辺篇), 三一書房, 1969. pp.415-437.
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