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漁業
作成: 2018-11-26
更新: 2018-12-12
菅江真澄 (1789), p.338,339
こゝかしこに、いさりたくかと見渡ば立ならぶ
丸屋形
(
マロヤカタ
)
のうちには、人あまた、ほたたき居ならびて、三の緒(三味線)かいならし歌うたふ。 陸小屋の窓よりも、ひまもる灯の光など、河辺の蛍よりもしげう。この火かげにさしうかがへば、軒にいと高う木を立て、
大口魚
(
たら
)
の肉をほじしにすとて、さきつらねかけたる
魚屋
(
なや
)
とて、その臭さしのびがたく、夜はいたく更たり。
同上, pp.372
ケニウチにいつれば、しばやの軒に、ゑひすめ (昆布)、いたくとりかけてほしたり。
なへて此磯邊の昆布は帯のことく細けれは、ほそめとやいふらん、なかめとやいはんとひとりことすれば、しりより来かゝる男のいはく,
「
ひんかし(東) のいそにはをよばねと,過来給ひしウシヂリのこなたなるヒラダナヰ (平田内) のひろめは,もともいとよけん。 それにつぎては,このケニウチにこそあらめ。
ことしは鯡のこのあたりには群来さふらはで,させることなう,いまより,かゝるわさをし侍る。
此あたりの鯡のさかりは,海に魚の山をなし,せに(銭)かねはたゞふ(降)りわ(湧)くものゝやうにおぼへしに,このけかち (飢饉) にあひぬ。
さりけれど此昆布のよけれは,いそくさ (磯草) をくひて,いのちいきよと,あめ(天)よりのさつ(授)けにや。」
いつくさ (五草=五穀) なき島のあはれ,おもひやるべし。
村上島之允 (1800), p.99
「
此島の民,鯡,昆布を採るを業として農事
ハ
知らさるに似たり。」
引用文献
村上島之允 (1800) :『蝦夷島奇観』
佐々木利和, 谷沢尚一 [注記,解説]『蝦夷島奇観』, 雄峰社, 1982
菅江真澄 (1789) :『蝦夷喧辭辨 (えみしのさへき)』
『菅江真澄集 第5』(秋田叢書), 秋田叢書刊行会, 1932, pp.307-424.
国立国会デジタルコレクション