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東寗元稹 (1806), p.36
土人云、此地方 [和人地] にて五穀を作らずと。
其故いかんと問ふに、凡鯡獵は二月中旬よりはじめて、春の土用にをはる。
さればわづかの日數にて数百金を得る事也。
其業斯の如くにすみやか也。
是にさて耕耘の業の如き迂遠なる事は、一人も是をつとめず。
年中辛苦に日を迭らんよりは、平座して衣食にみてんにはしかじと。
此地もし不獵し、他邦また有年ならざれば、平座して餓死に及ばん事必然也。
國をおさむる賢侯、農をすゝむる良弼なくして、皆民人をしゆる事あたはず、今日に至る事、實に歎きてもあまり有。
幸にまぬがれてつゝがなしといふ共、是良民にあらざれば、國の本を失へり。
たとへ數年の粮をたくはふといふとも、本より他邦のカなれば、永保の地とは稱するすべからず。
武備の事は扨置、勤農は第一の教なるものを。
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引用文献
- 東寗元稹 (1806) :『東海參譚』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻』(探検・紀行・地誌. 北辺篇), 三一書房, 1969. pp.23-44.
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