Up 勧農論 作成: 2019-02-26
更新: 2019-02-26


      東寗元稹 (1806), p.36
    土人云、此地方 [和人地] にて五穀を作らずと。
    其故いかんと問ふに、凡鯡獵は二月中旬よりはじめて、春の土用にをはる。
    さればわづかの日數にて数百金を得る事也。
    其業斯の如くにすみやか也。
    是にさて耕耘の業の如き迂遠なる事は、一人も是をつとめず。
    年中辛苦に日を迭らんよりは、平座して衣食にみてんにはしかじと。
    此地もし不獵し、他邦また有年ならざれば、平座して餓死に及ばん事必然也。
    國をおさむる賢侯、農をすゝむる良弼なくして、皆民人をしゆる事あたはず、今日に至る事、實に歎きてもあまり有。
    幸にまぬがれてつゝがなしといふ共、是良民にあらざれば、國の本を失へり。
    たとへ數年の粮をたくはふといふとも、本より他邦のカなれば、永保の地とは稱するすべからず。
    武備の事は扨置、勤農は第一の教なるものを。


    引用文献
    • 東寗元稹 (1806) :『東海參譚』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻』(探検・紀行・地誌. 北辺篇), 三一書房, 1969. pp.23-44.