|
本多利明 (1791)
‥‥‥ 安永年間より赤人 魯斉亜国人なり の大舶蝦夷の奥へ漂着に擬い、年々渡り来りて交易を乞う事頻なりと。
其の土産の品々は、和蘭船持渡の品類と異る事なしといえり。
段々と土人と親しみふかくなりて、彼国の掟を教示し又は宗門などを勧ると風説あり。
‥‥‥
今既に開国の時至りたるか。
魯斎亜より東蝦夷諸島を開業をなせば、此時に当りて日本にも異国との境界を建て、関所を居え、要害ありて武威を布くに於ては、異国へも輝きす、蝦夷土人も尊信せんは疑いなし。
誠に国家全するの祈禱と成て目出度かるべし。
|
|
引用文献
- 本多利明 (1791) : 最上徳内『蝦夷国風俗人情之沙汰』(『蝦夷草紙』) の「序」
- 須藤十郎編『蝦夷草紙』, MBC21/東京経済, 1994, pp.21-24.
|