Up 入植論 作成: 2019-02-23
更新: 2019-02-23


      本多利明 (1791)
    一、
    蝦夷土地の是迄開けざる次第は、日本庶人常の口(すさみ)にも、
      蝦夷の土地は都て雲霧深くして湿地にて、殊に寒国なれば住馴ぎる日本人などは中々以て住居は成り難き土地なり、
    仮令(たとえ)押して住居する共、五穀も生じざれば、食物貧して忽に飢餓に及ぶべし、
    殊更湿気を請い疾病を発し廃人と成るべし、
    又往古より日本の農民度々渡海し耕作をも試したる事有といえども、(つい)に稔りし(ためし)なしに依って、今に開発せざるべし。
    大なる事は庶人も知る所といえども、彼患難あれば往古より空しく捨て置たるべしなど、兎角に毎年春の末頃より夏に向て雲霧多く地面につきて、夏中を盛りとし、秋の末頃までは更に晴天することなし、依て夏中には風烈は決してなし故に耕作物の稔りざるも理也
    といえり。
    懐うに((尤))なり。 如何というに、
    日本国(ひらけ)し以後年久しく戦国ありし時は、常に愍代(みんだい)を以て業と為、
    (たま)に開業を志す人ありという共、 合戦に忙しく、故に日本の内だに(つまびらか)にする事あたわず、
    (いわん)や遠方まで用の事などは詮なき事故、只夷秋は夷秋と見たるまで類年を経たるものならん、
    今に至て開けざるべし。
    一、
    蝦夷の土地開発成就して良国と成べき仕方は、
    春の末頃にも至れば雪も消えて草木皆冬枯となるは、雪国の常也。
    於是迄間(おいてこれまでのあいだ)、曠野の内田畑となるべき場を検査し、乾燥なる時節を量り、風烈をまち、風上(かざかみ)より大勢にて放火を()け遍く焼払えば、(はぎ)(すすき)(あし)(かや)(よし)(あし)の類の下草は悉く焼払、故に日躔太陽の温熱正直に地面に稟遺(うけのこし)、毎日毎日地面を蒸し立るにおいては、地面に雲霧つくことなく、太陽は温熱を土地に含積するは、温熱百穀百果豊熟するは必然なり。
    左すれば、昼夜に霄壊(しょうじょう) [天と地] と温気と冷気と昇降すれば、雲霧は地面を離れ去り大宇高く上昇して常の雲となり、風気行れ、雷電あり雹雨など降りて霧も鮮散し、晴天して四時を(さし)えず至り、万物を□育(ろういく)する者也。
    是開業成就し良国となる(もと)也。
    於是山岳の渓泉を導き、或は井を掘り、溝を設け、遣用水の便利を計り、田畑を墾耕し、百穀百果を蒔植の農業をなしなば、終に良田畑となる事疑なし。
    此時に当らば、成べき丈けは雪出生の者を先にし、
    奥羽越佐((能))加六((州))の海辺の者往古より毎夏蝦夷へ渡海し渡世する者夥しく、此者などは好所の幸を得て妻子牽き連れ移((渉))すべし。
    又鍛冶木匠を(はじめ)、諸職人をも追々遣し、家電器材の製作あるべし。
    (さて)又御領私領寺社領等に罪人あり。
    主親殺(しゅおやごろし)其外重罪人は格別、盗人已下にて死刑に成るべき者は、助命せしめ、遠島追放などの者も、左遷の(さむらい)も、倶に(つかわ)し、明吏を加え守護させしめ、
    土人の撫育教導は、是までに用ひ来りし土地の風儀あり。
    日本の((法))令を以て補助せしめ、
    彼地に(すべ)て乙名というて長夷あり、是を名主庄屋年寄の如く其郷村に称し、法令は是に伝え、土人を()くべし。
    天監師 [天体観測者] あり、民間暦を製作し、博く国中に頒行し、通用の宝貨あり、諸事日本の如くに()するは必然たり。
    (ここ)に近き証拠あり
    中華北京王城の土地は、北極出地四十度にして、百穀百果豊饒の良国なり。 蝦夷土地も又北極出地四十余度なれば、諸土産も北京の如くなるべし。
    既に蝦夷諸島より北方の海上一万町を隔て、ヲホツカ [オホーツク] と(いう)国あり。此国は魯斎亜国の東浜にして、大港あり。 此港は帝都ムスク((ワ))へ運送する大川ゆえ、其繁昌して売女屋迄あるといえり。
    此ヲホツカより又東浜数百里にして、日本常州の丑寅の方位に当て、カムサスカ [カムチャッカ] 国あり。 北極出地五十四度気候なり。 阿蘭陀国に等し。 往古は蝦夷にて日本の属国にありしが、享保の頃より魯斎亜国の土人多く渡り来り、今は彼国の領となる。 安永年間に城郭を築き、副将の交代ありと聞く。
    (さて)又蝦夷諸島の西方へは満州山丹国より地続きにて、中華及び朝鮮国に (へだた)る南方は日本国也。
    如斯(かくのごとく)東西南北各良国となりて蝦夷諸島を包券(ほうかん)せり。
    然るに中央に所在する蝦夷諸島は、寒国にて人民住居成かたし五穀稔らす(など)云は、餘り不穿鑿の沙汰也。


    入植は,屍を踏み台にする格好になる。
    始めから屍になろうとして入植する者はいないわけであるから,屍の役にはまる者は騙されてそうなった者である。
    入植は,現地に着いて「話/想像とは全然違う」と唖然・呆然とするところから始まる。

    騙した者も,騙すつもりで騙したわけではない。
    人に何かをさせようとする者は,そのさせようとする内容を無意識に飾り,そしてあやしいところは思考停止する。
    ご都合主義的に外国を持ち上げるのも,お定まりである──この引用はきまってインチキである。

    ひとの社会の繁栄は,結果オーライというものであって,騙す者と騙される者がいたことのたまものである。

    世の改革者は,騙す者である。
    実際,犠牲を生まない「改革」は無い。
    「改革」は,既得権者の打倒である。
    既得権益を否定し,「規制緩和・規制廃止」を運動する。
    この過程で,兵隊が倒れ,周りがとばっちりを受ける。

    「改革」とはこのようなものである。
    そして,このようなものであるからこそ,それは系の新陳代謝である。
    系のダイナミクスは,その中の員に対し無情である。


    引用文献
    • 本多利明 (1791) : 最上徳内『蝦夷国風俗人情之沙汰』(『蝦夷草紙』) の「序」
      • 須藤十郎編『蝦夷草紙』, MBC21/東京経済, 1994, pp.21-24.