「幕府直轄」を場所経営にそのまま適用すると,「官営」ということになる。
この場合,いちばんにすることは,アイヌとの交易レートを定めることである。
これは,交易レートの一律化ということになる。
交易レートを定めようとするときの官の立場は,従来型を不徳としてこれを是正するである。
官が徳──社会正義──を垂れるというわけであるから,このとき展開される経済は社会主義経済である。
最上徳内は,状況がこのように推移する場合を警戒する者である。
そこで,この流れに釘を刺そうとなる。
最上徳内が「官営」を却けるロジックは,一つは,この流れは机上の論をつくることになって,現場に混乱が起こる,である:
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最上徳内 (1800a), pp.142,143
東蝦夷御用地となり法を改る事にて、前々の仕来は取用にもならぬ趣にて、州もなき様に推挙して申立もせらるれども、新しき味い計りにては利かぬ事もあるべし。
酒は酒の味いにし、酢は酢の味いにするをよしと言う。
酒に苦味を付て新法なりとても、買に来る世上にて合点せぬ事なり。
蝦夷地に新法を規し、是を趣意なりとするも、旧染の蝦夷ども服従はせぬものなり。
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最上徳内 (1800b), pp.150
蝦夷地御益筋の儀は 当分彼地取開の心得可被成儀に奉存候 ‥‥‥
会所等其外取扱は 格別相改新規に被成候ては 手元の者通詞番人配方等大勢不二行届一 其内迷惑仕候者も不少 既に咎を請候同様の者も出来仕候
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もう一つのロジック──こちらの方が本質的であるが──は,そもそも経済とはそんなものではない,である。
規則はたちまち抜け穴がつくられるし,一律買い上げは交易のメリットを損なう:
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同上, pp.150,151
御交易永続の積りにて 新法御取極も御座候ては 決て蝦夷人服従し間敷奉存候
其訳は 交易は民と利を争ふ道にて 繁栄仕候に従ひ 猶気位不宜
日本地僅の御買上長崎御用の俵物にても 直段引上等願出 或は抜荷売買可仕 厳敷御咎に逢候ても 今に相止不申候
聊の煎海鼠二三種にて 如此に御座候
別て 蝦夷人田畑無之 年中の渡世は荷物斗に御座候処 一式御買上に相成候ては 乍恐公儀を恨み可申儀も可有之奉存候
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引用文献
- 最上徳内 (1800a) :『蝦夷草紙後編』
- 須藤十郎編『蝦夷草紙』, MBC21/東京経済, 1994, pp.117-149.
- 最上徳内 (1800b) :「蝦夷地の儀に付存寄候はゝ無遠慮可申上様被仰聞候 依て御含にも可相成と奉存候儀仰に随ひ無遠慮相認可申上候 書付」
- 須藤十郎編『蝦夷草紙』, MBC21/東京経済, 1994, pp.150-153.
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