"アイヌ" のアイデンティティは,「北海道先住民族」である。
そして「アイヌ=北海道先住民族」をアイヌ学が支持する。
本論考は,「アイヌ=北海道先住民族」が虚言であること,そもそも「先住民」なる概念が立たないこと,を論じてきた。
今日のアイヌ学はお粗末なものである。
そしてこのお粗末のもとは,考古学に見ていくことになる。
生物学に,古生物学という分野がある。
これは,生物学の「考古学」である。
この考古学は,進化論──ダーウィンの自然選択説──を方法論にしている。
生物学では,種のもとは突然変異個体である。
《面は点から生じ,そのほかではない》ということである。
アイヌ学の考古学は,進化の方法論をもたない。
歴史を《面の変遷》で考える。
《面の変遷》の絵は,<途中から>の絵になるのみである。──つぎのような具合に:
遺物に北海道人の歴史を語らせることはできない。
それは,<物>に<運動>を語らせることはできないということである。
次元が違うのである。
このことを確認するために,本論考の閉じとして,アイヌの出自ストーリーを一つ書いてみよう。
勿論フィクションである。
しかし考古学は,この種のフィクションを否定することができない。
考古学のできることがどこまでかを反照的に示すこと──これがこのフィクションの目的である。
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アイヌ文様・入れ墨は,アイヌ独自のものである。
ルーツを外に求められない。
北海道縄文人の漸進的進化から生まれるようなものでもない。
アイヌの出自ストーリーは,アイヌ文様・入れ墨の出自ストーリーである。
本州の北海道よりの地方では,北海道のことが知られていた。
北海道に渡り,みやげ物を持ち帰り,みやげ話をする者が,時々いたからである。
ここに,北海道で伸してみようかという者がいて,家族・仲間を引き連れて北海道に渡った。
彼らは<ギャングのファミリー>を北海道侵出の構えにした。
彼らはこの構えの表現に<装い>を用いる。
これがアイヌ文様・入れ墨の出自である。
侵入者の出で立ちと暴力性と (武器をはじめとする) 道具的優位を前にして,先住民は彼らに畏服・敬服し,彼らの配下になる。
ファミリーは員を増やし,方々に侵出し,それぞれの地にシマをつくる形で先住民を従えていく。
先住民はこのなかで,ファミリーの文化 (流儀) に同化していく。
シマに分散したファミリーは,はじめは分家のような絆でつながっていたが,世代がくだるにつれ,縄張りで抗争するものになる。
ファミリーのつながりも忘れられる。
歴史学者だと「部族」とか「領主」のようなことばを持ち出したくなるステージに入って行くわけである。
この群雄割拠状態は,松前藩統治になって終わりとなる。
即ち,松前藩主がアイヌの主となる。
──「との (殿)」の呼称がアイヌの中に浸透していく。
アイヌ語も独特の趣きがあるが,その独特は以上の進化過程でつくられたものである。
言語は簡単に速やかに変化する。
(かつて比較言語学がヒトの系統を調べる方法にされたことがあったが,これは無理な方法である。)
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以上はアイヌ学者には「トンデモ話」ということになるが,進化生物学だとこっちの方がありそうな話になる。
そして,アイヌ学者の考古学は,このトンデモ話を却けることができない。
「北海道先住民族」を唱えている者に返すことばは,「ちゃんと考えることをせよ」である。
これに尽きる。
引用文献
- 瀬川拓郎 (2007) :『 アイヌの歴史──海と宝のノマド』(講談社選書メチエ), 講談社, 2007.
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