Up 『アイヌと "アイヌ"』: はじめに 作成: 2019-11-03
更新: 2019-11-03


    今日「アイヌ」の語は,二つの別のものを指すことばになっている。

    一つは,これが「アイヌ」の本来の意味であるが,アイヌ文化を生きた者である。
    本論考は,「アイヌ」の語をこの意味で用いる
    アイヌ文化は,明治新体制を以て終焉となる。
    したがって,アイヌは終焉した存在である。

    もう一つは,アイヌ終焉後に「アイヌ」を自称する者である。
    アイヌは存在しないから,この自称は<考え違い>ないし<僭称>ということになる。
    本論考は,彼らをアイヌと区別するために,"アイヌ" の語を用いる。


    「アイヌ」自称のパフォーマンスは,それ自体,運動 (キャンペーン) である。
    そしてこれを利用しようとする者が現れる。
    "アイヌ" は彼らとつながり,新たな運動がつくられていく。

    "アイヌ" を利用しようとする者は,2タイプになる。
    一つは,<貧窮者・被抑圧者を生む体制を倒す>イデオロギーの者──俗に言う「左翼」──である。
    もう一つは,営利を求める者──俗に言う「利権」──である。

    "アイヌ" と彼らは,さらにマスコミとつながる。
    そしてこの大きくなった系は,「アイヌはここにいる」を大々的にキャンペーンする。

    このキャンペーンは,アイヌの隠蔽になる。
    ひとは,"アイヌ" キャンペーンから「アイヌ」を教えられる。
    ひとは,<アイヌを知る>ということがあるのを知らない者になる。

    "アイヌ" キャンペーンは,今日,「アイヌ民族」キャンペーンに進化している。
    これは,左翼と利権と政治の止揚が成った形である。

    学術界も,この流れに加わる。
    実際,いま「アイヌ民族」宣伝の最も大きな看板を掲げているところが,北海道大学である。


    本論考は,<アイヌを知る>があることを,ひとに知らせようとするものである。
    "アイヌ"キャンペーンが教えようとしてくる「アイヌ」は,アイヌではない。
    本論考の趣旨は,「学問のすすめ」である。

    本論考は,デジタルドキュメントのメリットを活用する。
    そのメリットは,《紙幅がコストにならない》である。
    本論考は,文献の引用を多用する。
    これは,読者個々で<アイヌを知る>の展開が成るようにするためである。
    『アイヌと "アイヌ"』の標題のこの論考は,入門書ふうにコンパクトにつくるやり方もあったが,「ある程度の大部はやむなし」で行くことにした。