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加々美光行『知られざる祈り──中国の民族問題』, 新評論, 1992.
pp.292,293.
不当な首切りにあって職を失う危機に瀕した労働者たちが団結して労働運動を形成したとき、そこには確かに階級としての実体的基盤が存在した。
だが、その労働者階級がプロレタリア革命なる社会革命によって、国家権力の奪取を追求し、革命成立後にはプロレタリア独裁国家権力の担い手となり得たとする「神話」が成立したとき、総体概念としての階級は実体的契機を離れて幻想と化したと、私は考える。
つまり階級は政治権力に対して生活と生産を防衛するネガティブな主体として主張されるときには、なお実体的契機を保持し、政治権力を求め担うポジティブな主体として主張されるときには幻想と化すということである。
これとまったく同様なことが民族概念にも言い得るというのが、私の論点にほかならない。
1840 年のアへン戦争あるいは 1857 年のセポイの反乱に始まる帝国主義列強の植民地支配に対して、自身の日々の生活と生産を破壊から防衛する抵抗運動のネガティブな主体として民族が現れるとき、そこには実体的契機が存在したことは否定できない。
なぜならそれは、その民族固有の暮らし、たとえば遊牧の民には遊牧の民の、海辺の民には海辺の民の、長い歴史の中で培われた固有の暮らしを守ろうとする運動として現れるからだ。
しかし、その民族が民族革命なる社会革命によって、国家権力の奪取を追求し、その権力奪取後に民族国家の担い手となり得たとする「神話」が成立するときには、総体概念としての民族は実体的契機を失って幻想と化すほかない。
問題は、 抵抗的な民族運動の局面において既に、権力奪取を求めるような民族の幻想性が働き始めるという点にある。
事実としては前述の民族感情における分岐したポジティブな感情とネガティブな感情の二つが、民族運動の全過程を通じてほとんど分かちがたく融合しているからにほかならない。
だがかつて階級が抵抗的局面において実体的契機を有するがゆえに、階級国家を実体視したことがあやまりであったように、民族もまた抵抗的局面において実体的契機を有するからといって、民族国家を実体視することはあやまりである。
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「アイヌ民族」イデオロギーの者は,「同族よ目覚めよ!」「同族よ立て!」を唱える。
そして,唱えた途端,同族から浮き上がる。
二風谷ダム建設への反対意思行動で,貝沢は萱野とともに孤立する。
孤立し,かつ引っ込みがつかなくなる。
こうして,荒唐無稽な「土地を返せ」を唱える者になる。
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本多勝一「アイヌ民族破壊を弾劾する簡略なる陳述──萱野茂・貝沢正両氏」(1988)
『先住民族アイヌの現在』収載. pp.211-262.
pp.258-262
二風谷ダムの用地交渉の中で、アイヌは貧乏しているから金さえやれば喜んで買収に応じるだろうと、農業廃・休止補償をシャモさんより一年分加算して交渉を続けられたんであります。
人間平等の時代に、こんな差別があってもよいものでしょうか。
偉い人たちの思惑が当たり、アイヌの大半は開発側の用地買収に応じ、金をもらいました。
昔のアイヌは焼酎でだまされて土地を取られたと笑っていた。
いまのアイヌは、札束に迷って土地を取られた。
反当たりたった10万5000円の上置きだけでだされたのであります。
用地交渉の際、開発側は「田は反当たり140万円は全国標準価格だから絶対それ以上出ない」と言って突っ張ねたそうです。
それなら、農業廃・休止補償の一年分の上置きは旧土人給与地だからできたと理解して、給与地は日本中どこにもないから一年と言わず、10年でも100年でもいいはずでないでしょうか。
アイヌが近代史の中で苦しめられた過去を振り返って、その子孫に補償する意味から、私は一応100年分ぐらいを要求したいと思っております。
北海道開発政策で生存権を奪われ、ようやく農民となったやさきに、また土地を取り上げる。
こういう開発政策には私は納得できないのであります。
萱野さんもさっき主張したとおり、狩猟民族であるアイヌに狩猟権と漁業権を与えるようにしていただきたいなと思います。
もう一つ、二風谷ダムの建設用地は、一般のダムと違い平地であることと、都市に近く大変便利だとか、国道は近い、骨材は現地で幾らでも取れる。
そういう条件を備えて、もうけるのは東京や大阪の大企業だけで、地元には何もメリットがないのであります。
10年も前から騒いでいた苫東の企業はちっとも来ない。
そこへ、なぜ工業用水を送るのか。
ダムが本当に必要なのか。
見通しのないままに大きな国費を使って強行する。
役人と金業と政治家だけのためでないかとの悪口を我々は聞いております。
‥‥‥
私たち苦しみに苦しみ抜いて、やっと護岸ができ、水田ができ、それから永久橋がかかって、これからやっと当たり前の百姓になり、米も食えて、安心して生活できると思っていた矢先のこのダム計画が発表され、跡継ぎをする子供たちも足が地に着かないで次々と村を出ていっているわけなんです。
私がここで要求したいことは、先ほども申しました農業廃休止補償をほんの一年だけでなく、アイヌを苦しめた長い歴史の補償として80年間くらい見てほしいということ。
それから、強制的に農業に転換させて、やっと定着したところで土地を取り上げようとしているから、再び狩猟民族に返してもらって、狩猟と漁業で生活できるように補償してほしいということ。
ぞれから、沙流川周辺のコタンの裏山にある社有林全部を元の地主であるアイヌに返してほしい。
ただで北海道の土地を取り上げたのであるから、ただでアイヌに返してほしい。
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貝沢正「三井物産株式会社社長への訴え」(1991)
『アイヌわが人生』, 岩波書店, 1993. pp.186-194
pp193-194.
以上に述べてきたような経過で三井は日高沿岸の木を伐りつくしてしまいました。
前にも書いた三井の信条として「儲けるために社会を犠牲にしてはいけない」などとうまいことを言いましたが、明治末期から昭和にかけては、北海道を植民地として略奪をほしいままにしたのです。
沙流川沿岸の広葉樹は200年、300年単位でなければ用材として用を成しません。
それを小径木まで伐採した罪は大きいと思います。
しかも、伐った跡地を自然のままに撫育するのなら200年後に復活するかも知れませんが、人工林で針葉樹に金をかけて植林する愚を繰り返しています。
税金のがれの目的で保安林に指定させたり、造林には金をかけないため農林中央金庫からの低金利融資を得たりして、かつてのような略奪林業ほどボロもうけはできないので三井も苦労しているようですが、ここで本来の真の地主たるアイヌとして次のように直訴いたします。
一番よい方法は、搾取しつくしたこのあたりで三井の山を地元のコタンに住んでいるアイヌに返すことではないでしょうか。
罪域ほしの最高の方法と思ってここに忠告いたす次第であります。
返されれば、私たちアイヌは共同で管理して、かつてのような真の自然が保全されるような山にもどす方向で、人間が共存できる利用をしていくでしょう。
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「土地を返せ」は,荒唐無稽であるばかりでなく,虚しい。
「二風谷の代表」「アイヌ民族の代表」を装うからである。
もっとも,こうなってしまうのには,<インテリ・エリートであって,且つ前衛を自任する者>の宿命といった面もある。
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