|
小川隆吉『おれのウチャシクマ』, 寿郎社, 2015.
p.131,132
ウタリ協会本部は、河野本道氏を委託者として採用し、アイヌ民族史つくりに取り組む事になった。
持ち込まれた資料は、河野三代の集めた資料で、目録その他原本を見ることができた。
札幌支部は沢井アク支部長の提案で、学習会を週一回生活館で行うことにした。
講師に、河野本道氏が来てくれました。
スタートから北海道旧士人保護法が国会に提案された議題、質問者発言、それに対する答弁、それに対する再質問とえんえんと続く。
‥‥‥
もしこのような学習会がなかったら、後につづくアイヌ民族に関する法律原案、中でもこの法律を制定する理由を、小川隆吉は書けなかったと思う。
河野本道さんありがとう。
札幌市という地理的条件にも恵まれたこと、人とのつながりが広がってきた。
中でも、北海道水産会館四階で行われた、1984年度北海道ウタリ協会本部総会で「アイヌ民族に関する法律の原案」が可決された。
その三日後にメーデーに参加。
うれしさいっぱいで、小川さん良かったねと握る手に力がこもる。
この先骨抜きの法律にされるとは露しらず。
p.132,133
横路知事のもとで、国会に提出する議案を道議会で審議するための案の検討が始まった。
北海学園大学理事長森本信夫委員長以下14名。
私はウタリ協会の新法特別委員会のメンバーとして参加しました。
そこに北星学園大学の土橋信夫先生がいた。
‥‥‥
旧土人保護法がどんなものかつて学習会をやるまでほとんど知らなかったんだ。
あの学習会で初めてじかに読むことになったんだ。
それは俺ばかりではなかったと思うよ。
河野先生は毎回資料を持ってきてくれて、みんなが読めないとなると大きな声で読んでくれて、そのあと説明もしてくれた。
俺らアイヌは聞く一方だった。
参加者は、沢井アクさん、石井ポンベさん、早苗、その他何人もいた、ときには20人以上もいた。
そのうち参加者は増えたけど酒を飲んでくるものがいたりして混雑したなあ。
あの当時、金はとらないで教えてくれた学者は河野先生しかいなかった。
講師にはそのあと山川力さん、釧路から山本多助エカシにも来てもらった。
ピッキが講演したこともあった。
|
|
|