Up 小川隆吉, 1935-2022 作成: 2017-01-11
更新: 2022-07-31



  • 『おれのウチャクマ──あるアイヌの戦後史』, 瀧澤正 構成, 寿郎社, 2015.


      『おれのウチャクマ』, pp.116,117
     北海道立啓成高等学校地理Bの授業で先生が、「アイヌとの結婚を避けるために」との見出しを黒板に大書きした。
    後ろの席で笑っている女生徒を指さし「笑っている場合ではない、しっかり勉強しろ」。
    その後は教室にくすくす笑い。
     その中で男性教師は手振り身ぶり大声で次のように話しかけた。
     「君たちは今後も北海道で暮らすことになる。そこで大切なのはアイヌとの結婚を避けること。 それには、アイヌをきちんと見分けること。一見して眉毛が太い。私はアイヌが自宅に来て風呂に入ったのを見たことがある。熊が浮かんでいるよう、全身毛だらけ。今はこのような極端な人が見られないと思うがそれだけに見分け方が大切だ」と話した。
    この教室にアイヌの生徒がおり、翌朝九時に生徒と両親が生活館のデスクの前で話された。
     あまりにひどい話なので、ちょうど集まっていた本部三役に伝えると驚いた三役は事実確認をすると決めた。 事務局長は当該学校長に電話で知らせた。
     当日、校長室のソファーに本部三役と私が座ると、校長が挨拶し、発言者がみなさんにお詫びをしたいとの申し出がありましたので、と言ったとき、一人の男性教師が入ってきた。
    校長の横に立つと「今回の私が行った授業の内容は事実です」と言った瞬間土下座して、許してください、許してくださいが続く。 アイヌ側からの発言が遅れ気味になった。
    私は、「このような事実があったかを確認するのが目的であり、許す許さないは今後の問題です。今日はこの辺で帰りましょう」と言った。
     学校を後にしようとしたときにマスコミの質問攻めにあった。
    翌日の北海道新聞は写真入りででかでかとのった。


       同上, p.119
     この事件の頃、関西の進学塾河合塾がアイヌの問題でしくじったんだ。
    何でも、授業で使う教科書っていうのか本のなかで、「アイヌは最早や存在していない」という意味のことが書いであったそうだ。
    そのことが、関西の部落解放同盟を通じて山本一昭に──当時、結城庄司が亡くなって山本がアイヌ解放同盟の代表だった──、それから俺の所に伝わってきた。
    それで、その河合塾に電話を入れて確かめたんだ。
    そしたらなんと三人も飛行機で飛んできた。 生活館に入るなり今で言う土下座みたいな恰好をして「アイヌをテーマにして十分な勉強をしていなかった。 申し訳ない」って言う。
    そのあと、関西の大学で講演をしてくれってきて、関西大学と神戸学院大学に、二回話しに行った。 塾の働きかけだったのかどうか背景は知らなかったが。


       同上, p.137
     「アイヌ文化振興法」ができる前の年の総会で、野村義一さんが理事長からおろされた。 野村さんがアイヌ新法を実現する先頭に立っていたんだ。 あの人は、新しいアイヌ法の下でも理事長を続けたいという気持ちがあったと思うよ。 なのに理事会の投票をやったら笹村に決まってしまったんだ。
    同時に俺も理事から外された。
    あれはクーデターのようなものだった。
    ウタリ協会の転換点だったと思う。
    うしろで政治家が動いていたのでないか。‥‥‥
    野村さんのあとウタリ協会理事長になった笹村は、「文化振興法」がウタリ協会のアイヌ新法案と全然違うのに一言も文句を言わないんだから。


       同上, pp.185,186
     北大から開示のあった年の10月に「アイヌ政策のありかたに関する有識者懇談会」が、北海道の現地でヒアリングをした。 東京から佐藤幸治先生などの委員、道内ではウタリ協会理事長の加藤忠、北大の常本教授やら高橋はるみ知事とかが参加することになっていた。
    札幌支部のアイヌの何人かに出席の案内がきていて早苗もその一人だった。 「あんたには来てないの」と言うんだよ。 俺はそのことを前日になって早苗から聞いたんだ。 急いで阿部ユポに電話して「明日はなんかがあるようだけど私には連絡がないね」と聞いた。 阿部は「来てもいいよ。ただし傍聴だよ」と言った。 つまり発言権はないということ。
    次の日、会場のピリカコタンに行った。 その時、北大から開示された遺骨関係の人骨台帳やら、アメリカ・カナダ・オーストラリアでは総理が替わるたびに先住民族に謝罪しているのを書いた新聞の切り抜きをみんなの分を持って行った。 記事のうち首相が謝罪している写真がついたものだったが、新聞の名前がなかった。 それで急いで札幌市中央図書館に行って──パス、地下鉄と電車乗り継いで──行って探してもらった。 随分待って係のお姉ちゃんが「ありましたよ!」って階段から降りてきた。 『赤旗』の記事だった。 よく探してくれたと思ったよ。
     ヒアリングの会場には、有識者がズラッと並んでいた。 これと向き合ってウタリ協会札幌支部の連中が20人ばかり並んでいた。 会場に入っても俺の席はないんだ。 それでそこに来ていた秋山審議官のところに行き、名刺を出して「私の特別発言を認めてください」と言った。 秋山氏は「いいですよ、ただし最後ですよ」と簡単に認めてくれた。 それから誰かが出してくれた椅子に座った。
     会議が始まると委員のほうから色々質問が出されたんだが、答える方はどれも肝心なことを外しているんだ。 ぼやっとしたことは話しても肝心なことは誰も、なんにも言わない。
    最後に俺の番がきたので用意していった資料を配って色々話した。 特に遺骨の問題についていっぱい話した。 俺はその時頑張ったんだ。 最大にエネルギーをだして頑張ったんだ。 早苗が後ろに来て「あんたもう止めなさい」と言うんだ。 そのくらいしゃべった。 ああいう場では、肝心なことに触れる話はみんな避けてるんでないか。
     それより秋山氏は許可したのに、阿部は話すなという態度だ。 俺はアイヌによって差別されたことが悔しいんだ。